牧師をしていると、話を聞いてほしいという人のカウンセリングをすることがあるけれども、カウンセリングには心の痛みや欠乏感を癒す力はないなぁって思う。いつまでも続くことがあるし、カウンセラーへの依存も起こりやすいし。
むしろ、礼拝こそ、癒やしの現場でしょう。
なぜなら、カウンセリングでは、クライエントが自分のネガティブな感情や思いを語り続けるけど、礼拝とは、自分が話すんじゃなくて、「あなたを愛している」。「恐れなくていい」。「大丈夫だ」。という、神の愛の言葉、語りかけを聞く現場だから。
カウンセリングって、結局ネがディブな自分の言葉を聞き続ける現場なんです。だから、そんな自分が一旦黙り、神の愛の言葉を、心に受け取る礼拝の現場こそ、癒やしの場なんです。
そこにおいて、神が働くときにこそ、人は本当の意味で癒やされて行くのだから。