愛の言葉がほしい

 このところの「あまちゃん」。

娘の春子と母親の夏が、だんだん和解していくプロセスが心を打つな。
ゆいちゃんと、いったんはゆいちゃんを捨ててしまったおかあさんとの関係も、和解に向けて描かれ始めているし。

それにしても春子が「ありがとう」って夏から言ってもらうまで、母の介護はだれにもさせない。わたしがする、ってすごい執念。

母からの愛情表現を、子どもはいくつになっても求めているんだよね。こどものときに、それを得られなかったら、なおのこと。

夏は春子を愛しているんだけどね。うまく伝わらないし、想いとは反対のことを言ってしまって、傷つけあってしまうんだなぁ。

でも、それほどまでに愛の言葉を求めるのは、人はその愛の言葉を食べながら生きるように、つくられているからにちがいない。

ご飯さえ食べていれば、人間、生きられるってもんじゃない。

愛の言葉、天の親が源の愛の言葉を、人から語ってもらって、それを聞いて、心が満たされて、いきていけるように、出来ているんだ。


新約聖書マタイによる福音書4章4節

エスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」