信頼、それが救い

 救いの条件として、神が人間に求めておられるのは、唯一、信仰です。信仰とはすなわち信頼であり、心のつながりです。神が何をしてくださったかを理解することではありません。無限の神がなさったことを、人間がきちっと理解できるはずもないのです。また私たちの救いのために、神が何をしてくださったかという話を、事実だと信じることでもありません。私たちは事実を信じて救われるのではなく、事実を作ってくださったお方を信頼して救われるのです。

 私たちが神を信頼し、キリストを信頼するならば、その信頼を神は喜んで、私たちを受け入れてくださるのです。神が、あるいはキリストが、私たちの救いのためにどんなことをしてくださったかを理解し、それを事実として信じるのはすばらしいことです。でもそれは、私たちが救われるための条件ではありません。私たちが救われるのは、神がキリストにあって何をしてくださったかを信じる信仰によってではなく、神を信頼し、キリストを信頼する、信頼によって救われるのです。

 自分たちの救いのために、神はどれほど大きなことをしなければならなかったか、人間がまったく知らなくても、神を信頼して生きさえすれば、神はその信頼の生き方を喜んで受け入れ、救ってくださるのです。神が求めておられるのは、人間の冷たい理性による理解と判断ではなく、信頼という言葉に含まれる暖かい心の交わりです。


佐々木 正明牧師のブログから
http://japanesechristian.seesaa.net/archives/201305-1.html