コモンズとしての農業

農は、自然の摂理のなかで、それをうまく利用して、人間が生きていくための食糧、衣類、住居の原材料を作ってきた。
特にアジア水田農業を中心としている世界では、一個一個の農家ではやっていけない。コモンズとしての農業の営み。村落としての農業が必要。
しかし戦後、農村を一つの経済主体と考えて、企業と同じような仕方で市場的競争の原理を貫いてしまう。農村で生まれた子どもたちが大量に都会の、市場原理主義的な世界に組み込まれていく。世界のなかで日本ほどそれを大々的にした国はない。どの国でも、農村は、単に食料としてではなく、それにたずされる人たちの人間的な生きざま、自然とのかかわり、それが社会の大切なものであるという考え方がある。それを否定してしまった。
農村の再生を考える。社会的共通資本としての農村という認識をはっきり持つ。
農村に住み、仕事をし、生きていくことが可能となる社会。豊かな人間的な生活が営めるように。
そのための関税政策。それぞれの国が社会的安定、持続的経済発展を求めて関税体系を必要としている。関税障壁を撤廃することが素晴らしい世界を生み出すという虚構は支配的帝国にとって都合のいい考えにすぎない。<宇沢弘文氏(東京大学名誉教授)>