ヨセフ

 今日は、月の初めの日曜日ということで、午前中は山形教会でご奉仕。帰ってきて夕方から酒田での礼拝。

 山形の礼拝でいただいた思いは、たとえ嵐の中の舟にあろうと、主が共におられるゆえに、平安に舟をこぎ続けていくものでありたいということ。
 世界経済は嵐が吹きそうですが、主にあって嵐の中黙々と舟をこいでいきたいもの。

 酒田の礼拝では、イエス様に触れるというメッセージをいただく。礼拝においてイエス様に触れるなら、「安心していきなさい」(ルカ8:48)と言われたイエスさまのみ言葉をいただいて、歩み続けることができる。

「・・・今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」ネヘミヤ8章10節


 こどもキャンプの疲れも、主を礼拝させていただき、イエス様のみ言葉に触れるなかで、癒され新しい力が湧いてくるのを感じています。


 おでこが虫に刺され、少し腫れていたので、ばんそうこうを張っていたら、山形での礼拝の前にある方から「奥さんに引っかかれたの」と言われて(笑)。そのまま説教の導入でつかわせていただきました。

 さて、酒田に帰ってきて礼拝の後、Hさんと韓国の教会のことについて、話していたのですが、韓国の教会は1980年代あたりに、教会に子どもたちがいなくなってしまったことへの危機感から、目覚めさせられて、変革が起こり、教会の働きとして無料で幼稚園を始めたり、子どもたちを教会に招き育てていくための、あらゆる努力を重ねていったプロセスがあって、今の韓国の教会が支えられていることを知って、考えさせられました。

 今、わたしたち日本の教会も、大きく意識変革をして、こどもたちへの伝道に全精力を集中して取り組んだとしても、実りは10年、20年後かもしれません。でも、今、始めなければ、いつ始められるでしょう。確かに目の前のことで精いっぱい。でも、だからといって、時が過ぎていくままにしていて、いいのだろうか?

 さて、今日の「聖書教育」誌の聖書の個所は、ヨセフがエジプトのファラオの夢を解く話でした。。

 ファラオの夢を解き明かし、7年の豊作の後、7年の飢饉がくることを告げたヨセフは、今、まだ大丈夫だと思っているときにこそ、穀物を蓄えよと具体的に指示し、やがてくる飢饉に備えさせたわけでした。

 7年後を見越して、今、すべきことを示したヨセフ。彼のような指導者が、今求められているのではないかと思うのです。