漏水

 今日は少し肌寒い一日。曇り時々小雨。


 今日はHさんご家族とMさんと私たちとで礼拝。


 礼拝後は来週のコンサートの打ち合わせをHさんたちと。


 午後はMさんはこどもたちとずっと遊んでくれました。若いっていいな。


 さて、水道料金の検針は二カ月ごとで、震災後初めての検針が先日ありましたが、普段の2倍の使用料。どうやら震災後、地下の水道管から少しずつ漏水しつづけていたのでした。


 うーん、2か月ごとの検針って、こわいなぁ。


 そこでちょっと連想。

 わたしたちも、日々気がつかないうちに、大切なものが心から流れ出てしまっている、ということがあるかもしれません。


 検針する期間が空きすぎると、気が付いたときには、大変なことになっている、ということになりかねない。


 毎週の礼拝は、神さまのみ言葉という計りで、自分の魂を検針することだとたとえてみる。


 礼拝によって、み言葉の計りで漏水に気がついたなら、対処(悔い改め)すればいい。


 たとえ知らず知らずのうちに、命の水の漏水が起こっていても、次の礼拝が一週間後なら、漏水の被害も問題なし。

 しかし、これが次の礼拝まで何カ月と開いてしまうと、気がついたときには、その漏水のつけは痛いことになっている・・・

かもしれないですな。


なんて、与太話でした。