先日の山形教会でのイースター礼拝は、本当に喜びでした。
去年の酒田のイースター礼拝は、どなたも来られず、たしか家族だけだったように思います。正直、さびしかったことを思い起こします。
イエスさまの復活。この人間の理屈をこえた神の業を、多くの方とともに「アーメン」と告白し、賛美できる。
これは決して「当然のこと」ではなく、本当に「奇跡」であることを、酒田における数年間を通して、実感させられています。
個人個人の、「復活」への信仰が、たとえ弱くなったとしても、共に集い、復活への告白と神賛美の礼拝のなかで、その信仰は再び燃やされます。
暖炉のなかで赤々と燃える炭を、ひとつ暖炉から取りだしてしまえば、その炭は次第に熱を失い冷めてしまいます。しかしその炭を暖炉に戻すなら、また赤々と燃えだすのです。
共に集い礼拝することで、信仰の命は赤々と燃えるのです。
多くの信仰を同じくする人とともに、主を礼拝することは、わたしたちの信仰の命のために、どうしても必要なこと。
しかし、その多くの信仰の友とともに礼拝する喜びが、決して当たり前ではない大きな恵みであることを、改めて深く味わい知ることができたのは、酒田における孤独(孤立ではない)という恵みを、主からのいただいたからでもある。
それゆえに、声を大にしていいたいのです。ともに集い礼拝を捧げる、神の命の恵みに、共にあずかりましょう、と。