「のぞみ」最新号から

shuichifujii2009-07-13

 近隣に配っている「のぞみ」。その最新号のメッセージから


 『知的障害者のAさんは母親を失い、父親も病弱なので、施設で生活をしていました。しかし、ある年齢に達すると施設をでていかなくてはならない規則がありました。
 施設の人々はまがりなりにも社会生活できるように、Aさんに硬貨の区別を教えようとしました。毎日、一円玉から五百円玉まで並べて、くり返し区別を教えましたが、なかなか身につきません。とうとう施設を出る日が来てしまいました。
 でも、先生は最後まであきらめませんでした。いつもは金額の順番に並べているのを、今日はばらばらに並べて、
「このなかでいちばん大切なお金は?」
とたずねました。Aさんは十円玉を指差しました。先生は五百円玉を指して、「これが一番大事なお金なのよ」と教えましたが、どうしてもAさんは十円玉を指差します。
 先生が理由をたずねると、Aさんは、
「この十円玉でお父さんの声が聞こえるから」
と答えたそうです。
電話で使うお金をAさんは選んだのです。
たしかにお金の区別ができないと、社会生活に支障をきたすでしょうが、Aさんにはお父さんの愛情のほうが大切なのでした。』(「そのままのあなたが素晴らしい」より)



 世の中には、お金では計れない価値があります。それは、業績や学歴や社会的地位というものさしでは計れない大切な価値です。


 すべての人は、なにひとつ持たず、自分ではなにもできない赤ちゃんとして生まれます。たとえなにももたなくても、なにもできなくても、その存在そのものが、またとない尊い価値ある命として、生まれてきます。
 わたしたちは、仕事とか勉強とか家事とか、なにか「行為」をするので、価値があるのではありません。なにができようが、できまいが、そこに「存在」していることそのものが、まさに奇跡であり、ほかのなにものによっても代えることのできない尊い「命」という価値をもっているのです。
聖書にこのような言葉があります。


「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」


 この「わたし」とは、私たちに命を与えて「存在」させてくださっている「神さま」のことです。

 わたしたちの周りの人は、あなたに向かって、「これもできない。あれもできない。そんなあなたには価値がない」というでしょう。「なにができるか」という物差し、価値観しか、人は知らないからです。


 しかし、わたしたちの命をつくり、「存在」させてくださっている神様の目に、「あなたは高価で尊い」のです。あなたはただそこに「いる」「存在」しているだけで、「神の目に」計り知れない価値をもっているのです。

 この聖書が語る神の愛のまなざしが、あなたにも伝わりますように。