聖書日課から黙想

箴言3章から

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。
そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり/あなたの骨は潤されるであろう。」
箴言3章5節〜)


「自分の分別には頼らず」という言葉は、口語訳聖書では「自分の知識に頼ってはならない」新改訳聖書では「自分の悟りに頼るな」となっている。


 分別とか知識、悟りを求めて、自分がより良い人間になっていく。これが一般的な宗教に対するイメージ。


 しかし聖書は、どこまでいっても、「自分の分別」などというものは疑わしくに信頼に値しないという。


 歳をとると人間は頑固者になりやすい。それは、「自分の分別」「自分の知識」「自分の悟り」というものを絶対化していくから。そして、道を誤っていく。

 主に信頼するということは、「自分の分別」を相対化すること。常に、自分の考えは、間違っているかもしれないと、御言葉のまえに謙遜にされ、御言葉によって自分が変えられていくことを喜ぶ。つまり、かたくなな心、頑固者になることから解放されるということではないか。


「そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり/あなたの骨は潤されるであろう。」


 「こうあらねばならない」という硬直した主義主張に縛られるところから、主の導きによって柔軟に潤いのあるあり方へ