10分の1は神のもの

10分の1は自分のものではなく、神のもの。
今朝も御言葉を学ばせていただいて、あらためて確認させられています。

アブラハムの信仰も
「敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。」(創世記14章20節)


ヤコブの信仰も
ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」(創世記28章20節)


・10分の1は主に属するもの。
「土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す。」(レビ記27章30節)


・神の言葉に仕える者が専念するため
「見よ、わたしは、イスラエルでささげられるすべての十分の一をレビの子らの嗣業として与える。これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である。」(民数記18章21節)


・のろいではなく、神の祝福へと
口語訳
「人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。」(マラキ書3章8節〜)


 もちろん、神さまは私たちの捧げものがなければ困るお方ではないわけです。これは私と神さまとの、愛の関係の「しるし」なのですね。