求めるならば

 今日のお祈り会はOさんYちゃんと私たち家族と共に。聖書の御言葉は「求めなさい、そうすれば与えられる」というイエス様の御言葉から。


 経済危機の影響はここ酒田にも押し寄せていて、Oさんのお仕事も非常に厳しい状況。しかし、だからこそ、主に祈り求めつづけるしかありません。


 わたしは31歳のとき、安定した公務員の仕事をやめ、夜学の神学校に通いながら、アルバイト生活をしました。それはちょうどバブルがはじけたあとの厳しい時期でした。そんな時期に公務員をやめるなんて、周りの人からみたら、なんと愚かにみえたことでしょう。


 少しでも食費を削るために、まかないが食べられる牛丼やのアルバイトを選びました。4時間働くと一食食べられるのです。でも、毎食牛丼ばかりだと、気持ち悪くなったので、やがて肉を盛らないで、ご飯にふりかけをかけて食べるようになりました。そして、夜食は納豆とご飯。安アパートの一人暮らしでしたが、月10万円そこそこのアルバイト代では、生活は苦しく、おかげさまで、たまにコンビニで100円のチョコレートを買って食べることが、なんともいえない贅沢な楽しみになり、感謝でした。それでも、いや、それだからこそ、10分の1の捧げものを捧げなかったことは、一度もないはずです。


 その後、神さまは本当に不思議な導きをくださって、この者に働き場を与えてくださいました。恵泉教会の事務、そして、常盤台教会の主事、牧師。みんな、あちらから声をかけてくださったのでした。なんで、こんな惨めで貧しい生活をしている私に、しかもなんのコネもバックボーンもない私に、声をかけてくださったのか、いまでも不思議でなりません。神さまの哀れみと恵みとしかいいようがないのです。


 そんな貧しくさえない男が、やがて妻を得て、しかも3人の子供まで与えられました。すべて神さまの祝福です。


 そのような経験を通らされ、今、わたしたちは酒田にいます。今までも、不思議に必要なものは備えられてきました。

 主の御心なら、必要なものは主が与えてくださる。だから、神の義と神の国をまず求めなさいという御言葉にしたがって、主の御心を求めて生きていきたいと願います。


 それにしても、この時代、互いに励ましあい支えあう関係、神さまによって与えられる繋がりこそが、生命線のような気がしています。


 祈り求めていきたいものです。


「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい」(申命記15章11節)


「あなたは、レバノン杉を多く得れば/立派な王だと思うのか。あなたの父は、質素な生活をし/正義と恵みの業を行ったではないか。そのころ、彼には幸いがあった。彼は貧しい人、乏しい人の訴えを裁き/そのころ、人々は幸いであった。こうすることこそ/わたしを知ることではないか、と主は言われる。」(エレミヤ書22章15節〜