繋がり

 時々、このブログやホームページをみてくださり、ご質問や、励ましのメールを下さる方がおられます。今日は、北海道の方からメールをいただきました。辛い人生の中を歩まれながら、時々に、不思議な神さまの導きを得て、最近、教会に行くようになられた方でした。近くに住んでいたら、私たちの教会に出席したかったです、と書いてくださいました。正直嬉しかったです。でも、神さまが置いてくださった場所で、花咲かれますように。


 ついこの間は、このブログをみてくださる関東にお住まいの方が、教会宛に献金を捧げてくださいました。祷援会にさえ入ってくださっているのだそうです。私は祷援会にどなたが入っておられるのか、ほとんど知らないのですが、このブログを通して、そのような繋がりがおこされていることを知り、本当に感謝でした。


 でも、自分の心の底では、「みなさん、近くに住んでおられたら、顔を合わせて一緒に礼拝できるのになぁ」という気持ちが、正直湧いてきてしまいます。愚かですね。手前勝手な者です。


 今は、毎週数名の方々と共に礼拝を捧げています。私たち家族にとって、神さまが出会わせてくださった宝のようなお一人お一人です。そして一見、目に見える人数は少ないようですが、私たちの背後には、この小さな教会を覚えてくださっている、沢山の宝のような方々がおられる。そんな繋がりをいただいているのです。


 その繋がりとは、義理とか人情とか、血縁とか、お世話になったからとか、そういう繋がりではないのです。いちどもお会いしたことがない方も沢山おられるのです。ただただ、主が導き繋げてくださった繋がりだと思います。


 まず、自分と主が繋がっているからこそ、主から与えられる人との繋がり。本当に感謝に堪えません。


 自分はイエスさまを信じる前は、孤独な人間でした。愛することも愛されることも下手で、自分ひとりでいることが気楽な人間でした。人に心を開けない。人との繋がりがもてない。コミュニケーションが苦手で、人から好かれない、暗い人間だったのです。それはキャラクター、性格でもありましたが、きっと、一人でいることで、もろい自分を守っていたのかもしれません。


 しかし、ある時、こんな惨めな自分を、主は愛してくださっていることを知り、そのままの姿でイエス様の懐に飛び込んだあの日から、自分は変えられ続けてきたと思います。人を愛せず、人との関わりが下手だったこの者が、なによりも、人との繋がり、関わりを喜ぶ人間に変えられてきたことは、まさに、神業としかいいようがありません。そして今、この自分が、牧師をしている、ということはまさに奇跡です。


 これからも、主がどのような出会い、人との繋がりを与えてくださるか、とても楽しみなのです。



「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。」(新約聖書 エフェソ4章21節)