雪かきしてくださって、感謝です

22日の月曜日から、浦和に泊まりの出張でした。

ちょうどその月曜日の午後から、どんどん雪が降りはじめて、あれよあれよという間に積もってしまったわけです。

「ああ、教会の前の道を雪かきしないと、そのまま凍結してしまって、大変なことになるな」と思いながらも、帰るわけにもいかずに水曜日まで浦和にいて、水曜日の午後に教会に戻ってみると、

教会の前の道も、入り口も、駐車場も、きれいに雪かきがされているではないですか。

月曜日の夜には妻や子どもたち。そして火曜日の午後には、教会の方々がやってきて、雪かきをしてくださったのでした。

感謝感激です。

確か2年前の冬にも雪が降り、その時は雪かきが遅れてしまって凍結させてしまったのですが、そのまましばらく教会の前の道だけが凍結していて、近所の方々に迷惑をかけてしまったことがあるのですね。

匿名で電話をいただいたこともありました。「教会はいいことを言っているけれども、なぜ、教会の前の道をあんな状態にしておくのか」という苦情でした。

そういうこともあって、次に雪が降ったらちゃんと雪かきをしようと思っていたところ、ちょうど雪が降る日に出張が入ってしまったわけでした。

そういうこともあって、教会の雪かきをしてくださったことに、「感謝感激」だったのです。

花小金井教会は、いい教会ですね。

頑張らなくてもいい と言ってあげること

今日の東京新聞の一面は「過労自殺認め和解」という記事

ホンダの子会社「ホンダカーズ千葉」の店長がうつ病になって自殺したことにともない、

遺族が損害賠償の訴訟を起こしていたのですが、17日に千葉地裁にて和解が成立。

同社が自殺の原因は過労と認めて謝罪し、解決金を支払うことになったわけです。

過労死が認められ、謝罪と解決金が支払われることは、まずもって遺族にとって良かったと思いますし、

今後このようなことが起こらないように、すべての企業に対する注意喚起という点でも

意味ある和解だと思います。

企業の業績が落ち込む一方で、「働き方改革」というスローガンのもとに残業を減らさないといけなくなり、

その結果、中間管理職が部下の仕事を背負い込む形で、しわ寄せがいく構造になっているのでしょう。

ご主人を亡くされた、訴訟を起こされた奥さんは、この和解を受けて

「家族を亡くした身としては、働く人たちには、自分で抱えきれない負担までは頑張らないでほしい」と語っています。


今、あなたの心にいっぱいになってしまっている、そのことは

命を捨てさせるほどに、「頑張らなければならない」ことじゃないですよ。

他にも道がありますよ。

頑張らなくても、いいんですよ。

そんな言葉ひとつで救われる人が、沢山おられるように思うのです。

「生ける神に立ち返る」(花小金井キリスト教会2018年1月14日主日礼拝メッセージ)

使徒言行録14章8節〜18節

寒い日が続いていますね。体調が優れずに、この場に来られないかたも覚えています。

一回一回の礼拝が、当たり前ではない神様の恵みの時。そう信じて、感謝しつつこの時間を過ごしたいと思います。

さて先週から、再び使徒言行録を礼拝で読み始めています。
飛び飛びにはなりますけれども、3月まで、この使徒言行録から、メッセージを聞き取っていきたいと願っています。

主イエスが十字架につけられ、三日目に復活なさった。

この主イエスこそ、メシア、キリストです。

この方を信じて、あなたも救われよう。

そう語り始めた、イエス様の弟子たち。

エス様が十字架につけられた時には、逃げ去っていた弟子たちが、まるで人が変わったように、逃げも隠れもしないで、福音を語り伝えた、その様子が記されている使徒言行録。

弟子たちを導く、聖霊の活き活きとした働きを感じさせられる、この使徒言行録。

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自分のことがきらいだから

利己的な人は、実は自分のことを嫌っています。

自分を「だめな人間」と思い込んでいるので、

その自己嫌悪を紛らわせ、自分の価値を確認するために、

自分の利益に頑なに固執し、

誰かが自分に損をさせたりすると、

まるで自分の価値が否定されたように感じて憤慨する。

それが利己的な人の行動パターンです。

反対に、実は利他主義者も、自分のことが嫌いなのです。

だれかに何かをしてあげることで、「だめな自分」ではないことを、認めたいという動機があるからです。

利己主義、利他主義の呪縛から解放されるには、

「そのままの自分を、好きになる」しかありません。

また

8日の午後4時45分頃、沖縄米軍ヘリが不時着という東京新聞の記事

去年暮れからの米軍ヘリからの落下物、6日のへり不時着から立て続けに続いている。

これが私が居住するそばの横田基地周辺で起こった事故だったら、もっと大きな問題としてマスコミは取り上げられるのだろう。

それにしても、この不祥事の多さに、

海兵隊というものの中身、レベルが現れていると言える。

「教育についてのつぶやき」

画一的な教育制度のもとで、自由や責任よりも平等性に価値を置くのがこの日本。

周りの人と同じであることが求められ、そこから外れた子どもは、居場所を失うシステムです。

それに対して欧米の教育では「他人と違うこと」に第一の価値が置かれます。

他人と同じことが出来たり、他人と同じことを知っていても、それに「価値」はないからです。

「価値」とはむしろ他人にはないもの。その人独自のものこそが「価値」であり、その人の強みなのです。

ところが、日本の教育システムの中では「出題者の用意した答えにたどり着くこと」を目的にした教育が行われます。

誰が考えても、誰が問題に取り組んでも、「同じ答え」にたどりつくことが要求されます。

たとえば、理科の問題で「雪がとけたら何になりますか?」と問われたら、

「春」と答えたらいけません。

「水」以外は間違いです。

「理科なんだから、あたりまえだろ」という人は、ある意味立派な日本人です。

こういう答えは一つしか認めない、という偏狭さが、

偏狭な人格を生み出し、

互いの違いを、価値と認めず、むしろ潰し合っていく、

いじめ文化を、ここまで育ててきたんですよね、と

いまさらながら、つぶやいてみたくなりました。

「祈られていたペトロ」(2018年1月7日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

shuichifujii2018-01-08

使徒言行録12章1節〜19節

 元日の礼拝で、お会いできなかった方もおられますから、最初に新年のご挨拶をいたしましょう。

「あけましておめでとうございます」

2018年が始まりましたね。今年は「主」が、どのような出会いと出来事を、わたしたちに与えて下さるか、期待しています。

そして、明日は成人の日ですね。今日の礼拝後のお昼ご飯の時間に、わたしたちの教会でも、ささやかな成人ののお祝いをします。今年は二人の男性の、成人のお祝いをいたします。

そのおひとりが、先日、こんなことを聞いてきたのですね。

「成人になって、なにかいいことありますか?」

そんな質問です。

「成人になって、なにかいいことがありますか?」

そういわれて、ちょっと答えに詰まってしまいました。

皆さんなら、どう答えますか。

お酒やタバコや、その他いろいろなことが自由になるよ、というくらいでしょうかね。

社会人としての、責任が問われるようになるよ、というのは、「いいこと」になるのか?

ちょっと、答えにくいというか、そんなこと、考えたこともなかったので、不意を突かれたわけです。

「成人になって、なにかいいことがあるのだろうか」

この質問は、今という時代を反映しているのではないでしょうか。

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