画一的な教育制度のもとで、自由や責任よりも平等性に価値を置くのがこの日本。
周りの人と同じであることが求められ、そこから外れた子どもは、居場所を失うシステムです。
それに対して欧米の教育では「他人と違うこと」に第一の価値が置かれます。
他人と同じことが出来たり、他人と同じことを知っていても、それに「価値」はないからです。
「価値」とはむしろ他人にはないもの。その人独自のものこそが「価値」であり、その人の強みなのです。
ところが、日本の教育システムの中では「出題者の用意した答えにたどり着くこと」を目的にした教育が行われます。
誰が考えても、誰が問題に取り組んでも、「同じ答え」にたどりつくことが要求されます。
たとえば、理科の問題で「雪がとけたら何になりますか?」と問われたら、
「春」と答えたらいけません。
「水」以外は間違いです。
「理科なんだから、あたりまえだろ」という人は、ある意味立派な日本人です。
こういう答えは一つしか認めない、という偏狭さが、
偏狭な人格を生み出し、
互いの違いを、価値と認めず、むしろ潰し合っていく、
いじめ文化を、ここまで育ててきたんですよね、と
いまさらながら、つぶやいてみたくなりました。