「キリスト教入門」じゃ、実はつまらない

shuichifujii2017-12-07

さてすでに、「キリスト教入門」という言葉を使ってしまった時点で、わたしはある壁を作ってしまっているんですよね。

なぜなら、「そんなものわたしには興味も関係もないわ」と思う人がいるでしょう。

まあ、そういう人に語っても、難しいんですけど、でもそれでも、本当はこういいたい。

「これって、あなたにもかかわりがあることなんですよ」

だって、すべての人にとって、
「自分は何のために生きているの」
「自分はどこからきて、どこにいくの」
「この自分には価値があるの。愛されているの」

という問いは、みんなが抱いている「問い」のはずだし、

気が付いていないとしても、実はすべての人にとって、必要なこと、求めていることのはずなんです。

だれもが、この大切な問いに「蓋」をして考えないようにしていたり、

お金とか仕事の成功とか、幸せな家庭とか、健康長寿とか・・・

そういう目の前の必要だけで十分だとおもっているけれど、

その内側というか、奥深くには、気づいていない(潜在的)な必要を、みんな抱えているんですよ。

なので「キリスト教入門」といっても、宗教の説明ではつまらないし、あんまり意味がない。

どうしたら、「あ、それ、わたしにも関わりあることじゃない」と思ってもらえるんだろうってなやみながら、書いていこうと思います。