実体にふれる

shuichifujii2008-10-01

 今日は曇り。写真は昨日の鳥海山です。昨日の午前中は雲ひとつない青空でした。秋の空は透明度が高いのか、遠くの山がはっきり見えます。


 ブログの更新が滞っていました。
 明日の午前中、酒田市内の教会が集うお祈り会がのぞみ教会であるので、今日はそのメッセージの準備などしていました。メッセージでいつも心がけているのは、単なる聖書の説明に終わらないように、生きた神とわたし達の関わりを願って語る、ということです。これはなかなか、難しいですが。


 昨日は、午後から小学校の金管バンドの指導でした。指導といっても、ただ一緒に吹くだけです。小学生ですから、口で100説明するより、実際の音を一つでも聞いたほうがいいからです。聞いてまねをするのが一番の早道。「学び」とは「まねび」からきたとも聞きますし。


 子どもの成長も「まねび」、信仰の成長も「まねび」。説明よりも、実体にふれるということが大事ですね。


 イエス様もまた、約2000年前に、罪びとへの「神の愛」とはなんたるかを、説明しにこられたわけではなくて、その「神の愛」の実体として、十字架の上で命を捨ててくださったことを思い起こしました。


 これを書きながら、人というものは、「ハウツー」とか「人生訓」とか「神や仏についての説明」とかではなく、実体にふれるとき、変わることができるのだなぁ、とそんなことを思いました。