わかってほしいんだよね、男も

 自分の両親や、自分たちも含めて、さまざまな夫婦を見てきて、力も立場も強い夫が変わることが、夫婦の関係が良くなる道だと思ってきましたけれども、夫が変わるためには、神様と妻の力が必要なのだな、と気づかされる記事に出会い、考えさせられています。

 男って強がっているようだけれども、本当は弱いんだよね。わかってほしいんだね。男のわたしがいうのもなんなんだけど・・・


 小さないのちを守る会水谷潔先生のブログから、以下、引用させていただきますね。

・・・男性たちがもっとも弱さを知られることを恐れている相手は女性、特に妻!なのだとか。他人事のように言っていますが、私自身もまさにそうでありました。妻に安心して弱さを伝えられ、深い癒しと回復を得られる夫婦に成長するまでにはそれなりの紆余曲折と時間を要しました。


 以前の記事で記しましたように、人間の交わりは「情報交流」と「感情交流」に大別されるそうです。そして、私たちに深い癒しと回復を与えるのは感情交流だとか。情報交流は有益さや便利さや達成感は与えるでしょうが、人格的な要素は当然、希薄なわけです。


 日本の夫婦の会話はどうしても「情報交流」に終始しがちなのでは?ボーナスの使い道、子どもの習い事、老後の生活設計、家庭の諸問題など、夫婦が自分の心情を語り心通じ合うことがありません。私はセミナーなどではとジョーク交じりに指摘します。


 それは夫婦の会話とは呼びません。それは業務連絡と言うのです。「(物まねで)業務連絡、業務連絡、鈴木さん、食品売り場までお願いします。」というのと同じです。


 これでは喜びも悲しみも共有しあって共に生きる人生のパートナー、夫婦でありながら、その本質を失ってしまいます。そうなってしまうのは、それは主に男性側の問題。言うまでもなく、その一因は「妻に弱さを知られるのを恐れているから」。さらに正確に表現すると「妻に弱さを知られて、軽蔑されたり、見下される可能性をとてつもなく恐れているから」です。


 私は思います。結婚生活しばらくすれば、「妻はとっくに知っているのにー」「いわないだけでバレバレ」。(もちろん例外的に、よせばいいのに、それを夫に指摘してしまう夫にとってはかなりキツイ妻もいますが・・・。)


 年代にもよりますが、一般的に、男というものは厄介なもので、女性、特に妻に対しては優位でなければならないというプライドがあるようです。それが脅かされることを極端に恐れるのですね。


 さらに厄介なことに、「そうした弱さをさらけ出して、受け止めてもらい、癒しと回復を得る」という妻の機能を別の女性に求めたりしてしまいます。たとえば、飲み屋のおかみ、スナックのお姉さんなわけです。これらの女性は男の弱さを受け止め、癒しと回復を与えるプロです。だから、ビールの値段が家で飲む何倍にもなり、席料だとかも取られてしまうわけです。


 男は金を払ってまで、弱音を吐きだし、受け止められる必要があるのです。妻は当てにしません。不確定要素が多いですから。その点、プロの女性は確実なのです。仕事ですから、生活かけてますから。


 何たる本末転倒でしょう!「男は家の外に出れば7人の敵がいる」と言いますが、「8人目は家にいる」ということでしょうか?自分の弱さを最も知られてはならない、恐るべき敵が人生のパートナーだったりするわけです。


 そういうわけで、妻の皆さんには、男の身勝手この上ないお願いです。夫が弱音を吐いたり、弱さやマイナス感情を伝えた時、どうか、それを受け止めてやってくださいよ。とりあえずそれに意見やアドバイスをせず、感情を受け止めましょう。自分が夫にして欲しいと願っているように。


 決して、「男らしくないわね」「弱くてだらしない」「そんなあなたには、がっかり」など、本当のこと、思ったとおりの本音を言ってはなりません。その瞬間、夫の心は「閉店ガラガラ」でシャットアウト。もしかしたら、二度と夫婦の感情交流は起こらないかも。


 これまた男の身勝手極まりない見解でしょうが、私は妻の男性理解度、成熟度がポイントだと思います。正直、日本の男性にはこうした課題の自己解決を期待するのは困難かと思います。どうしても神様と妻の助けが必要です。


 やはり、妻の側が夫の弱さを受け入れること、決して見下したり、軽蔑しないことを言葉や態度で示していくことが現実的だと思うのです。それに応答して夫が最初は恐る恐る半信半疑で、弱さを知らせます。そこから、感情交流ができる夫婦の交わりがスタートするのでしょう。特に夫婦で祈りあうことはそうしたチャンスとなることもあり、その意味でも夫婦関係には大きなプラスかと思います。