クリスマス礼拝とプレゼント

shuichifujii2007-12-23

 今日のクリスマス礼拝は、久しぶりにMさんご夫妻、そしてユキティさんママさん。そして、仕事で近くにいらしていた山形教会のAさんと共に。

 Aさんには、その場でいきなり、クリスチャンになるまでの、神様の導きの証をお願いしてしまいました。でも快よく引き受けてくださり感謝です。


 むかし、Aさんの弟さんは統一協会という、聖書の教えをまげて、信者をマインドコントロールしている異端宗教につかまってしまい、そこから脱会させるために、キリスト教会の協力を得て、正しい聖書の教えを学ぶ中で、弟さんは統一教会の教えの偽りに気づき、脱会することができ、正しい聖書の教えを学ぶ中で、クリスチャンとなりました。そして、それまで、聖書をよく知らなかったAさんも、弟さんとともに、聖書を学ぶなかで、聖書が真実であることを悟る信仰が与えられて、クリスチャンになられたのでした。



 イエス様を信じる道筋は、人それぞれです。偽りから真実に導かれることもあるのですね。人間の思惑を超えて、神様は自由に人を導いておられるのだなと、つくづく思います。



 今日の礼拝の聖書の箇所は、羊飼いに天使が救い主の誕生を告げるところからでした。


 説教の途中で、勇希がぐずりだし、みんなが勇希の方に目をやったので、「救い主イエスさまは、こんなあかちゃんだったんですよね」と申し上げると、みなさんから「そうなんですよねぇ」と声が


 言葉だけではなく、実際にあかちゃんを目の前にすると、当時の羊飼いたちが、このあかちゃんとして生まれたイエスさまを、自分たちの王として、救い主として受け入れるということが、どういうことだったのか、リアルに感じとることができました。


 本当の神は、人間が期待する、力強さのなかにはおられない。そうではなく、人が見向きもせず、期待もしない無力さや、弱さのなかに、実は、神は隠れておられるのです。


 この弱さのなかに隠れておられる神に出会うこと、それが「信仰」。そして、この「信仰」もまた、神が私たちにくださる恵み。


 幼な子イエスを救い主キリストと見抜く信仰こそ、まさに神様がくださるクリスマスプレゼントなのですね。


 さて、去年のクリスマスの礼拝は、家族と、酒田に来ていた妻の母とで捧げましたが、今年は沢山の方と献げることが出来て、うれしく思います。


 Mさんご夫妻、そしてユキティさんママさんから、クリスマスのプレゼントやカードをいただきました。写真はユキティさんとママさんの手作りのぬいぐるみのおもちゃ。輪投げもできるし、真ん中の丸いボールでボウリングも。赤いボールに「のぞみ」と縫ってあってうれしいです。



 思えば、皆さんとの出会いも、神様によって与えられたすばらしいプレゼントなのですね。


 どうぞ、これからも「のぞみ」教会をよろしくお願いします。