酒田市には郊外に刈屋地区という場所があり、肥沃な土壌を利用して梨を栽培しています。刈屋梨といって、庄内のブランドです。店で買うより農家に行って直接買った方が安いので、行ってみました。
写真は、おじいさんが贈答用のよい梨の重さをひとつひとつ計っている後ろ姿です。
私が「梨をくださいな」と家に入ると、「ちょっとまってな」といって、「おーい、おーい」とおばあさんを呼んで、おばあさんが私の相手をして下さって、いろいろお話ししてくれました。
今年は台風の影響はそれほどなかったようです。「これはあんたのような若い人向けの新種でな。酸味がなくてあまいんだ」と新種の梨の試食をさせて下さいました。感謝。
刈屋の梨を食べると他の産地の梨が食べられないという人がいるそうです。毎年、観光地も何もない刈屋地区に梨を買うためだけに日本全国からお客さんが来るそうです。逆に言えば刈屋には梨しかなく、大袈裟ですが梨が無くなったら刈屋もなくなってしまうと言う人もいます。
ひとつのことに賭ける、という生き方は、それがだめになったらもう、次がないという意味で、リスクが大きい生き方です。賢く世渡りをする人から見れば、愚かに見えるかもしれません。しかし、この潔さが刈屋の梨を刈屋の梨たらしめていることもまた事実なのです。
同じように、イエス・キリストに人生を賭けるという潔さが、クリスチャンをクリスチャンたらしめるのでしょう。
皆さんは今、「わたしはこれに人生を賭ける」といえるような、何かをもっていますか?
「・・・あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」(旧約聖書 ヨシュア記24章15節)
刈屋梨について
http://www.city.sakata.lg.jp/Contents/ePage.asp?CONTENTNO=1461