説教は頭ではなく心で語る

 日本においてキリスト教がのびない理由の一つには、牧師の語る説教が難しすぎる、ということがあるといわれる。もちろん、ただ平易であればいいわけではない。こどもにだけ語るわけではないのだから、それなりの深みがなければならない。しかし同時に、深いといっても、観念的な言葉の羅列では、聞く者の頭の上を通り過ぎる。人々の身近な生活と聖書の言葉を切り結ぶ祈りと努力が説教者には必要。そのために、読書も大切だろう。しかし、読書したから良い説教が出来るわけではない。使徒言行録2章でペテロが説教すると3000人もの人が信仰に入った。神はペテロの素朴な説教を大きく用いた。聖霊の働き。そのための熱心な祈りこそが、説教のための備え。このことを最近実感している。