「マイナスはプラスに」

1コリント2章6節〜

2:6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。
2:7 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。


 この箇所で、パウロは言っていますね。「信仰に成熟した人たち」には、知恵を語りますと。つまり、信仰に成熟した人でなければ分からない、理解出来ない、納得出来ない知恵というものがある。そういう人生観、そして価値観というものがあるということだと思います。逆を言うと、信仰のないひとには分からない。納得出来ない、理解出来ない、そういう人生観であり、価値観があるということをパウロはいっている。本当にそうだと思うのですね。

 人生に起こってくる様々な出来事や、試練。失敗とか病気とか。そのような出来事は、これは信仰のある、無しに関係なく襲ってくるわけであります。出来事というものは、あまり信仰の成熟とは関係なく、起こる。信仰が成熟しているから、良いことしか起こらないとか、病気にならないとか、死なないということではない。では、信仰に成熟するとなにが変ってくるのかといえば、出来事の解釈が変ってくるわけであります。おなじ出来事をみたとしても、その解釈、つまり、どんな意味があるのか、ということは、全く人によって違う受け取り方になる。あのキリストの十字架の出来事を、ただ、一人の人間が死んだのだとしか受け取らないのと、あの十字架は、自分の罪を背負って神の御子が死んでくださったのだ、と受け取るのは、全く違いますでしょう。

 ですから、「信仰に成熟する」ということは、一つ一つの出来事を、ただ、偶然だとか、たまたまだと、そのように解釈せずに、すべての出来事の中に貫いている、神様の最善の導きを信じて、そのように受け止めて生きるということだと思います。つまり、人生には良いことも悪いこともあるし、この世界には、信じられないような悪もあるけれども、しかし、どのような出来事も、どのような決断も、私たちにはその全ての意味は分からないけれども、真実なる神様とは無関係の出来事はないし、神は真実ゆえに、どのようなマイナスもプラスになさる。十字架というマイナスからさえ復活というプラスを生み出した神は、どのような出来事からも、神の栄光を現わして下さると、その考える。それが「信仰に成熟した人たち」であろうと思います。

 わたしは、自分の人生を振り返ってみますと、私の両親は、自宅で洋裁の仕立てをしていたのですけれども、働けけどはたらけど生活は楽にならず、わたしも小学生の一年生くらいから、家の仕事の手伝いをさせられて、毎晩夜遅くまで働く、親の背中をみて育ちました。家にお金がないことは十分分かっていましたし、両親からも、、早く自立して働くようにといわれつづけるなかで、中学生の時に、すでに大学の進学を諦めてしまった。いやそれどころではなく、高校にさえいかせるお金はないと言われたので、まじめに、中学を出たら働いて、定時制の高校に行くしかないと思っていました。なんとか高校には行かせてくれるということになって、すぐ、手に職を付けるために、工業高校の電気科に進みました。

 ところが、そこで音楽に出会って、楽器に熱中するようになって、そのときは、ホルンという楽器を吹いていたのですけれども、自分は、このホルンという楽器を心から愛するようになって、朝から晩まで練習して、出来たらこれで生きていきたいと思うようになります。しかし、貧しい家には音大になどやるお金があるわけがありませんから、そんな音楽で生きていくなどということは、夢でしかなかったのですけれども、ある時、スタジオミュージシャンのプロの方が教えに来て下さったときに、自衛隊の音楽隊のことを教えて下さって、実は、その方も、音楽隊に入って、給料をもらいながら、練習をつんで、独立したというお話を聞いて、自分もその道に進むことにしたわけであります。

 自衛隊に入隊して、辛い訓練を受けて、いつか音楽隊に入れるんだと、ただ、その希望にしがみついて、こらえて。でも、そう簡単には音楽隊には入れないのですね。倍率がたかくて、オーディションをして、それでも、よっぽど運が良くないと入れない。
 自衛隊の一般の訓練を受けながら、一年待って、運良く音楽隊に入ることが出来ました。ところが、手違いがあって、ホルンという楽器を吹く人を一人だけ求めていたのに、二名来てしまった。考えられないミスですけれども、だから、どちらかに楽器を変ってほしいと言うことになった。そして、もう一度オーディションをした。そして上官が私の所にやってきて、申し訳ないが、あなたの方が上手で器用だから、きっと他の楽器になってもすぐ上手になるから、楽器を変ってくれないかと、そういうことになった。ホルンを吹くためだけに、今まで苦労し忍耐してきた数年間が、すべて水の泡になったのです。
 一晩だけ、思いっきり泣きました。そして、それで心を切り替えて、その日から一切ホルンには手を触れないで、新しい楽器トロンボーンをいちから始めることになりました。そして、一人前になるまでには2年くらいはかかったと思います。朝から晩まで、取憑かれたように練習に明け暮れ、数年経って、その音楽隊で一番上手になって、そこからもっとレベルの上の音楽隊に転任することになった、そんな時期に、わたしは、常盤台教会でバプテスマを受けました。

 そして、バプテスマを受けてから、いつもこころのなかに、仕事を辞めるようにというそういう思いがわき上がるようになってきます。でも、自分はいやだったわけですね。大学にも行けず、好きなホルンも捨てさせられ、そんな挫折を何度も経験して、やっと今があるのに、それをまた捨てるのか。それはできない。しかも、もう30歳に近くなっている。もう、今更いちからやり直すことなど出来ない。そう思って、神様からの声に耳をふさいでいたのです。

 ところが、神様はある時、突然、私から楽器を取り上げてしまいます。突然、楽器が吹けなくなってしまったんですね。これには参った。どんなに練習しても音がでない。口の筋肉の一部が麻痺してしまっているらしい。そんな状態になった。大事なアンサンブルのコンサートを前にして、とんでもないことになった。必死に祈って、そのコンサートを乗り切ったけれども、もうどうにもならず、仕事を辞めることになります。他の自衛隊の職種に転職することも出来たのだけれども、神様がやめろと言っておられるのだと受け止めて、次になんの仕事のあてもないまま、自衛隊をやめてしまう。そして、昼間は吉野家でアルバイト。そして、夜は神学校で学ぶという生活になります。当時三一歳。公務員を続けていれば、安定した収入も、社会的地位もあり、好きな音楽もできたのに、いったい、これから自分の人生どうなってしまうのか、と正直不安でした。

 そんな当時、妻とはすでにつきあっていて、この一番辛い時期、共に祈り合うことが出来ました。そして、これからどうなるか分からない、この自分を結婚してくれる決断をしたんですね。大した信仰だと思います。でも、彼女の両親に、なんと言ったらいいのか。まだ、妻の両親は、その時はクリスチャンではありませんでしたから、31歳のフリーターをしているどこの馬の骨ともわからない男と結婚させてくれるだろうか。これは正直不安でした。そしていよいよ、両親に会いに行く日の直前、不思議にも、ある教会から電話が入り、私を雇ってくださることになった。本当に不思議なタイミングでした。それでご両親には、「私は、教会で働くことになりました、結婚させて下さい」と言うことができた。本当に不思議な神様のタイミングでした。
 マイナスは必ずプラスになる。神様は、マイナスに見える出来事から、必ず、プラスを引き起こして下さる、と、わたしは、そのあたりから、そのような信仰を頂いていったように思います。

 そして、その教会で二年事務として働きます。この二年間は幸いでもあり、しかし、辛い二年間でもありました。仕事のつらさではなく、自分の信仰が問われ、信仰の戦いを続けた、そんな二年間でした。また、教会のなかで、自分がしたいことをするのではなく、人が活き活きと生きるように、自分は仕えぬくという忍耐を学ばせていただいた二年間でもありました。自分の思い描いていたものとは違うという意味では、ある意味、マイナスに遭遇したのかもしれません。そのころ、結婚したばかりの妻も、最初は、辛い時期を過ごしたと思いますけれども、しかし、二年後、常盤台教会へと導かれてから、そこで学んだ経験が非常に役にたちました。そういう意味ではその二年間は大きなプラスとなりました。

 そのころ、長女も生まれ、常盤台教会は妻の実家にも近く、そしてそのころ、妻の両親がバプテスマを受けるということもああり、そんな神様からの沢山のプレゼントと支えを頂いて、常盤台で主事としての働きが始まったのでした。そして、三年目に牧師に招聘されます。

 30過ぎて吉野家でアルバイトしていたフリーターが、やがて、自分の導かれた常盤台教会の牧師になるとは、思いもしない、考えもしない出来事が起りました。

9節に
「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあります。

 神様は十字架という恐ろしい程までのマイナスをさえ用いて、人類を救うという、人の考えもつかないことをなさった。本当に、神様のなさることは、私たちの考えることをはるかに超えているのです。そんな神様を信じるとき、わたしにはマイナスにしか見えないことも、神様は、きっとプラスに転じてくださるのだと、そう信じられるのではないでしょうか。

 去年からパートナーシップ伝道が始まり、私は酒田伝道所伝道隊を派遣する担当になりました。しかし、正直、最初は気が重かったのです。なぜなら、とにかく遠い所で、そう簡単にはいけないですし、実際、お年を召された牧師夫妻だけの伝道所のために、私たちに何ができるのだろう。せいぜい、チラシを配るくらいではないか。そう思うと気が重くなった。
 しかし、その後、実際二回の伝道隊を派遣して、酒田まで行ってくださった方が、みんな喜んで帰ってきた。とても力を頂いて帰ってきたのです。ある方など、まるで別人のように元気になって帰ってきた。本当に思いもかけないことがおこった。マイナスはプラスになるのです。

 ところが、酒田の先生のご病気が11月に発見されます。正直、こんなことがあっていいのかと思いました。全てを献げて、神様に仕えておられる先生が、なぜ、重い病気にならなければならないのかと、正直思いました。そして先生は2月で酒田伝道所をやめて、治療のために家族のおられる神戸に行かれました。

 その後、いろいろなことがあって、結局わたしたち家族は、先生のあとを引き継いで、酒田伝道所に開拓伝道に行くことになりました。

 実は昨日、家族で、先生を見舞いに、神戸に日帰りで行ってきました。今、先生のお具合が大変悪くなっていることを伺って、本当は21日頃に行くつもりだったのですけれども、前倒しして、急遽昨日、家族で行きました。
 先生はご病気のため、十分に話すことがおできになりませんでした。でもわたしたちのことは分かってくださった。
 そんな先生の枕元で、わたしはこういいました。
「先生。先生のお働きは、わたしたちが引き継ぎます。先生が酒田で蒔いてくださった種は、きっと実りますよ。実るように、わたしたちがいって働いてきます。」

 そういうのが精一杯でした。そして、言葉とぎれ、共に祈りました。先生は、なにかわたしたちに言いたいことがあったご様子でしたが、言葉にならず、ただ、涙をながし続けておられました。先生は、わたしたちが酒田に行くことを、喜んでいてくださったのだと、信じています。

 わたしは、最初、先生が重い病気になられたことの意味が、正直、分かりませんでした。いったいこれはなんだと思いました。でも、こうしてわたしたちが酒田に行くことになった今、少しだけ分かったような気がします。それは、先生御夫妻のその献身と、そのお働き、そして、病の苦しみも、いっさいの事は、主にあって無駄にならず、主は、わたしたちを酒田への献身へと導き、酒田の救魂の実を結ばせてくださるのだ、と、そのように心の奥底で、ほんの少し、この出来事を受け止められるようになりました。

 わたしたちが酒田に行くのは、決して、わたしたちの熱心さとか、頑張りなどではない。私たち「だけ」の献身などではない。東北の教会が長い間血と汗を流してきた献身の実であり、そして民家先生の献身の実として、わたしたちは酒田に遣わされていくのだ。そのことをあらためて思います。

 イエスさまが十字架に死ぬという、その恐るべきマイナスから、復活というプラスを生み出してくださった天の父は、わたしたちのどんなマイナスの出来事、マイナスの人生さえも、プラスへと変えてくださる。そう信じて、いつも前を向いて歩み続けてきたい。そんな「信仰に成熟した人たち」とさせて頂きたい。そして、後ろを振り返らずに、常に前を向いて、歩み続けていきたい。そう願います。

 主はどんなにマイナスに思えるところからでさえも、プラスを生み出すおかた。そう信じて、人が思いもしない、考えもしない、どんなに素晴らしい出来事を、主が引き起こしてくださるかと、期待し、そのように信じ、告白して歩むものでありたい。そう願っています。