2023年2月19日 主日礼拝メッセージ 詩編121編1節~8節 「とりなしの祈り」

 


●序
 おはようございます。 こんにちは、こんばんは。

 今日も命が守られて、この場所に、あるいはそれぞれの場所から配信でつながり、共に主をみあげる礼拝に、招かれましたことを、主に感謝いたします。

 昨日は、かの国による弾道ミサイルが発射され、不安な時を過ごしました。
わたしのスマフォに、あと数分で着弾予定ですと、通知が来て、「ちょっとまって、あと数分間でどこに逃げればいいの」と、むしろ知らなかった方がいいんじゃないかとさえ思いました。

歴史を変えるような大きな出来事は、ある日突然やってくるものなのだ、ということを、思います。

去年2月24日の、ロシアによるウクライナ軍事侵攻によってあらためて知らされ、また2年前の2月1日の、ミャンマーの軍事クーデターによっても思い知らされ、先日2月6日の、トルコ、シリアの大地震もまた、そういう出来事として、わたしたちは思い知らされているように思います。

なぜ2月にこういう出来事が集中するのか、たまたまなのか、わかりませんけれども、ただわかっているのは、平穏な日々、日常というものは、ある日突然、いとも簡単に奪われることがある、もろいものなのだ、ということであります。

 

さて、2月にはいってから読み始めた旧約聖書の「詩篇」は、そのような意味で、平穏な日常が破壊され、戦争で敵に囲まれた時や、病や死を前にして、神に祈る信仰者の言葉。この世界の不条理を前に、神に思いをぶつけて祈る、信仰者の祈りの言葉に満ち満ちていることの意味を、改めて思うのです。


詩編は、数千年前に記された祈りと賛美の言葉でありますけれども、それは、時代をこえて、今も不安と恐れと隣り合わせに生きる、わたしたちの祈りの言葉。そして、苦難の中で、なお失望せず、歩み続ける忍耐と励ましを与える、祈りの言葉、賛美の言葉であることを、あらためて思うのです。

 

詩編121編について

 さて、先ほど朗読された詩篇121編は、讃美歌で歌われることもある、キリスト者にはよくしられた詩編です。

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。」


目の前の山を見上げて、「わたしの助けはどこからくるのか」と問う、印象的な詩編です。


表題では「都に上る歌」という表題がつけられています。

詩篇120編〜134編まで、この「都に上る歌」という表題がついてついている、「都上りの歌」と呼ばれる一連の詩篇になります。

けれども、この詩の内容からは、都、エルサレムに巡礼の旅に上るときの歌なのか、むしろ都会のエルサレムから、田舎の地元に帰っていく際に、途中の厳しい山々を越えていく、危険な旅路をおもいながら、旅の安全を祈ったものなのか、さまざまな想像をすることのできる詩篇です。

バビロン捕囚から解放されたころに、約1000キロ離れた、遠いエルサレムへの巡礼の旅の安全を祈ったのではないか、という説もあります。

はっきりしたことは、だれにもわかりません。


●詩の力

ただ、「歌」や「詩」が生みだされた背景を知ることも、必要ではあると思いますが、

むしろ、その「詩」の言葉に触れたわたしたちが、今、どのような「思い」を抱き、、心の中に「感情」や「情緒」が湧いてくるのかということの方が、大切なことであると思うのです。


著名なイギリスの文学者でキリスト者の、csルイスは、

「詩的な言語は驚くべき力を、様々に発揮する。」といい、、

「詩的な表現は、私たちが体験したことを用いながら、わたしたちの体験の外にある、なにものかを指し示すことができるのだ。」と告げました。(「聖書信仰」藤本満より)


つまりもはや、この「詩編」を歌った古代の人が、どのような不安を体験していたのかをこえて、

 今や驚くほど、科学と医療が発達した現代に生きているはずの、わたしたちであるにもかかわらず、今だ消えない、明日への不安、恐れの現実に、「詩篇」の言葉は、ふかく語りかけてくるのです。


詩編121の証


数年前の話ですが、水曜日のお祈り会に集まった人々で、この詩編121編を読んだことがありました。

そして、それぞれに感想を言い合ったとき、それぞれに、この詩編の思いで、詩篇の言葉の「体験談」をお話しくださいました。

ある方は、お孫さんが、学校を卒業なさるときに、この詩編の言葉を書いて渡されたという証を、語ってくださいました。

特に7節の言葉に、その方の、お孫さんへの思いを重ねて、この詩編を書いたカードをプレゼントなさったのだそうです。

7節
「主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように」


きっと、その方もこの言葉によって、励まされ、勇気を得たのだと思います。それゆえに、この力ある言葉を、学生生活を終えて、あらたに、人生の険しい旅へと出発しようとする、お孫さんに、届けたいと思われたのでしょう。


またあるご婦人は、ご自分が、ミッションスクールを卒業した時、校長先生が、筆で一人一人のために、色紙にこの詩編の言葉を書き、手渡してくださったものを、いまだに持っておられると、言われました。

まさに、これから険しい旅に出発せんとする、若者を思い、主の見守りを願う校長先生のその思いを託して、色紙に書かれた、この詩編の言葉が、その後確かに、その方の何十年にもわたる人生を見守りつづけてくださった。

主と共に生きる、信仰の人生を、主にみ守られながら歩んできた、その存在を通して語られる証に、感動したことを覚えています。

 

●「助け」はどこから

もう一度今日の詩編の冒頭の言葉を読んでみます。


「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。


 この助けを求めて祈り始めた詩人は、目の前の山々を見上げながら、わたしの助けは、どこから来るのかと、問うことから、祈りを始めます。

この詩人が見上げている、パレスチナの山々は、ごつごつとした、厳しい自然の象徴として、イメージされているのだと思いますが、

わたしたちの日本の風土や文化における「山々」とは、だれか人がなくなったなら、その人の霊は山に宿り、そして、その霊は、山から村を見守っていると信じられてきた、聖なる場所が「山々」でした。


その山に宿った先祖の霊は、時が経つうちに、「山の神」となり、干ばつや日照りの時には、村人たちは、山に向かって、助けを求めて祈りを捧げてきたのです。


 この日本人の「山の神」に対する信仰は、縄文時代まで遡ることができます。

やがて平安時代には、「山の神」への信仰が成熟する中で、「修験道」と呼ばれる、山にこもって厳しい修行を行う人々が現れ、その実践者のことを「山伏」と呼ぶようになりました。


「山伏」とは、「山」に「伏」すと書きます。それは、山にある、霊的な力を、受けるために、地面に「伏」すという儀式から、「山伏」と呼ばれるのだそうです。


その意味で、この日本においては、古来から、わたしたちを救う力は、山々からやってくると、信じられてきたのでした。


地震、災害、日照り、飢饉など、自然が人間に対して荒ぶるならば、山の神の怒りをなだめる祈りと、救い、助けを求める祈りが祈られてきたのです。

そして、このような信仰は、昔の話のように思われるでしょうが、実は今も、「山伏」と呼ばれる方々は、実在しているのです。

 

●山伏にであった話

 実は、私は以前、山形の酒田にいた頃、今も存在する「山伏」の方と一緒に、食事をする機会をいただきました。

わたしが住んでいた、山形の庄内地方には、「月山」「羽黒山」「湯殿山」など、山岳信仰で有名な山々がありますが、羽黒山の山頂にある、羽黒神社には、今も山の中で修業をする「山伏」の方がおられ、時々に、山に入って修行をしているのです。

わたしはある時、その山伏の一人「星野さん」という方を囲んで、共に食事をし、貴重な話を聞く機会を得たことがあります。


 初めて会ったときには、星野さんの、ただならぬ風貌と雰囲気に、圧倒されました。その食事の席で、星野さんは、修行で使う、ホラ貝も吹いてくださいました。

 宗教者に、プロもアマもないのですが、「山伏」の風貌といい、雰囲気と言い、修行の内容といい、いつでも普段着の牧師の「私」とは、なんというか、格の違う威厳と言うか、カリスマの雰囲気ただよう「山伏」さんに、圧倒されたわけです。


やはり、厳しい自然の中で、修行を積むと違うものだなあと、感じました。これはかなわないなと。

荒野の中で、いなごと野蜜を食べていた、バプテスマのヨハネは、きっとこういう風貌だったのかもしれないと、思ったわけです。


そして、星野さんの話を聞くと、最近、この「山伏」のところに、修行に来る人が増えているのだといいます。特に若い女性が増えているといわれて、驚きました。

修行をするわけですから、病気や貧困からの救いを求めてやって来ているというよりも、

むしろ、都会の生活につかれ、生きることへの不安であるとか、行き詰まりのなかから、救いを求めて、自然の中、山の中へと、人々は入っていこうとするのではないかと、思ったものです。

特に日本人は、そのような「自然」に対する信仰。自然のなかに、神を求め、救いを求める感性が豊かなのでしょう。


しかし、「山伏」が生まれた、平安時代のころよりも、さらに1000年も2000年も古代に書かれたこの詩編は、驚くべき信仰を告白するのです。


「目をあげて、わたしは山々を仰ぐ
わたしの助けはどこから来るのか」

わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから」


わたしの助け。わたしの救いは、山から来るのでも、自然からやってくるのでもなく、

山も自然も、この宇宙のすべて、天と地を造られた、主のもとから、わたしの助けはやってくるのだ。


山に向かっていくら祈ろうとも、山にこもって、いくら修行しようとも、

わたしの救いは、助けは、山でも、自然でもなく、そのすべてを存在させた、創造主である「神」からしか、やってこない。

この「自然」「宇宙」を造られた創造主への信仰、信頼は、

同時に、「自然」「宇宙」の中にある、あらゆるもの、「人間」であろうと、人間による「科学技術」であろうと「医療技術」であろうと、

それらはすべて、いわゆる「山の神々」にすぎず、わたしたちを救うことはできない。

助け、救うことができるのは、すべてを造られた主である、という「信仰の告白」が、ここにおいてなされているのです。


人間は、人間を助け、救わんとして、豊かさを追い求め、死に打ち勝つために、医療技術を発展させてきましたが、

しかしそれでもなお、この詩編が書かれた3000年前となにも変わることなく、すべての人は、時が来れば死んでいくのです。

「自然」も「宇宙」も、その中に生きている「人間」も「AI」も、

究極的にはわたしたちを助け、救うことのできない、被造物なのであり、

被造物を助け、救う救いは、それを造られた、主のもとからこそ来るのだと、告白するこの詩編121編の、祈りの言葉、信仰の言葉に、

わたしたちは、なににすがり、どなたに助けを、救いを求めているのかと、

問われる思いをいただいているのです。


わたしたちは、今、だれに助けを求め、どのような救いを、期待しているのでしょうか?


今週の教会学校で読まれる聖書の箇所は、イエスさまのたとえ話の一つで、金持ちの畑が豊作で、これから先何年も、この財産で生き延びられると、安心していた金持ちの命が、そのいのちを与えた、神によって取り上げられるという譬え話でした。

エスさまは言われます。「人の命は財産によってどうすることもできないのだ」と。

命を救うのは、そのいのちをつくられたお方。

ゆえに詩編121編は告白するのです。

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る。
天地を造られた主のもとから。」と。


●とりなしの祈り

そうであれば、どれほど山にこもって修行しようと、さまざまな知恵をたくわえ、人生経験を積んだとしても、

どこまでいっても、たんなる被造物に過ぎない、わたしたち人間にとって、

誰かのために、なにかできることがあるとすれば、

それはとりもなおさず、天地を造り、唯一、本当の意味で、救うことができる「主」なる神に、

あの人を、助けてください、見守ってくださいと、祈ることではないでしょうか。

 

詩編121編の3節以下から歌われていく内容は、まさに、誰かのために、主の助けと見守りを祈る、執り成しの祈りとなっています。


3節
「どうか、主があなたを助けて
足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように」


厳しい人生の旅路において、時にその歩む足は、よろめくことがある。

よろめき、倒れ、もうこれ以上前に進めないと、失望することがないように、主よ、まどろむことなく、見守ってくださいと、友のために祈る祈りの言葉。


天地を造られた、主の助けを信じて歌う、この詩編は、

主がその力によって、あなたの目の前の試練を、取りのけてくださいとは、祈りません。

そうではなく、その状況においてさえ、あなたの足がよろめかないように、主よ、見守ってくださいと、祈るのです。


天地を造られた神であるのなら、その大いなる力で、直接的に働きかけて、あらゆる災いから、助け救い出して欲しいと、祈ることもできるでしょう。

しかし、この詩編はそうではなく、どのような情況の中であれ、歩み続けるあなたの人生のその足が、よろめかないように、見守ってくださいと祈るのです。


4節~5節

「見よ、イスラエルを見守る方は
まどろむことなく、眠ることもない。

主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方」


主は、わたしたちの人生の旅路に、同伴してくださっている。

わたしたちが起きている時も、眠っている時も、まどろむことなく、眠ることなく見守り、覆い、だれよりも、わたしたちのそばで、共に歩み、同伴してくださっている。


かつてイスラエルの民が、エジプトの奴隷状態から解放され、モーセを先頭に、荒野の旅を続けたときも、

彼らは自分たちだけで、その荒野の旅をしていたのではなく、

主が彼らに先だって進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた、主によって、彼らは、自分の足で、昼も夜も、歩み続けることができたのです。


その雲の柱、火の柱は、イスラエルの民から離れることはなかったと、出エジプト記の13章21節に記されています。


このイスラエルの民の救いの体験。主が昼も夜もまどろむことなく、眠ることなく、そばにいて導き続けてくださった、信仰の経験。その歴史を踏まえて、この詩編は告白します。


「あの荒野の旅の時も、主は見守り続け、助けてくださったように、

あなたのその、荒野を旅する人生の、そのそばで、傍らで、主は共に歩み、見守り続けているのだ」と。

その見守りとは、遠くから、ただ、みているという話ではなく、

小さなこどもが、公園で遊ぶのを、そばで見守る、お母さんのように、

こどもたちに、なにか危ないことが起こったならば、命がけで、危険から守る覚悟と、眼差しで、

神の子どもたちを、みまもっていている。

天の親の見守りであります。


6節~7節
「昼、太陽はあなたを打つことがなく
夜、月もあなたを撃つことがない」

「主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように」


この祈りの言葉は、主イエスが教えてくださった、主の祈りの最後にある、

「我らを試みにあわせず、悪より救い、いだしたまえ」という祈りを思い起こさせます。


この祈りを教えられた、主イエスの弟子たちの人生も、決して平坦な歩みではなく、やがて、迫害に次ぐ迫害という、過酷な旅路になっていくわけですが、

十字架に死なれ、復活したイエス・キリストもまた、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と、弟子たちに、そしてわたしたちに、約束してくださったのです。


昼は雲の柱、夜は火の柱となり、弟子たちを導き、支え、見守ってくださった神は、今や、復活のキリストとして、目に見えないキリストの霊、聖霊として、わたしたちと共にあり、わたしたちの内にあり、私たちを見守り、助け、導いてくださっている。


 その主の伴いと、見守りがあったからこそ、今日もわたしたちは、生かされて、ここに集い、主を見上げて、礼拝を捧げているのではないでしょうか?


 今、戦争、地震、災害、ありとあらゆる苦難を前にして、祈ってみても、何になるのだろうかと、祈りを妨げ、むなしく思わせる、誘惑にあらがって、


わたしたちは、本当の意味で、この世界を助け、救うことのできる、天地を造られた主に、

友を覚えて、愛する人を覚えて、困難の中にいる人々を覚えて、主の助けと見守りがありますようにと、祈り続けようではありませんか。