祈り続けること

 今日の礼拝のなかで、東北の仲間の教会がつくった「東日本大震災から6年を覚える祈り」を祈る。
 今までの歩みや、現在の被災地の状況などを織り込んだ、かなり長文の祈りなので、教会の執事の方々による、「群読」で祈りの言葉を朗読し、会衆の人々はその祈りに心を合わせることで、神さまへの祈りとした。
 「群読」とは文章を大勢が分担しながら朗読すること。ただ順番に朗読するのではなく、数人で読んだり、男性だけ、女性だけ、全員で、文章にあわせて、様々な朗読者の組み合わせにすることで、文章がより立体的に聞き手に伝わる技術。小学校の文化祭などで、子ども達の発表によく使われる。うまくやらないと、朗読者によってはっきり聞こえたり聞こえなかったり、難しいところもあるが、今回は直前に一回しか練習ができなかったにしては、うまくできたとおもう。

牧師の私も、その群読のメンバーの一人に入れていただき、祈りの言葉を所々読むことになった。短いセンテンスであるがゆえに、自分が読むことになるその一言の重みを、感じさせられる。未だに収束することのない福島の被災の現状を思う時に、無力さを覚えるが、だからこそ祈りをやめないこと、祈り続けることが、むしろ教会に神が期待し、託してくださっている働きであると、改めて思わされている。