あの日、私たち家族は山形県酒田市にいた。酒田は、津波が襲った太平洋沿岸の反対、日本海沿岸の港町。あのときの揺れは、船酔いしそうな大きな横揺れだった。
停電となり、石油ファンヒーターがつかえなくなった。まだ3月の東北は寒い。すぐに倉庫に眠っていた、旧式の石油ストーブを出した。捨てないで取っておいてよかったと思った。
テレビがつかないので、ラジオだけが情報源だった。いったいその時、太平洋側沿岸で何が起こっているのか、わたしたちにはよく分からないまま、その夜は、小さなストーブを囲んで、家族で一つの部屋に横になった。
そのうち、停電が回復し電気がきて、なにが起こっているのかを知ることになる。
祈るしかなかった。
約二週間後の、3月27日の日曜日。小さな私たちの教会の礼拝に、あるご夫婦が初めて来られた。奥さんは韓国から来られたクリスチャンで、ご主人は教会に行くのは初めての日本の方だった。この大震災がきっかけとなって、ご主人は教会にいくことを決心されたのだ。
それから一年後のイースターに、そのご主人はバプテスマを受けられた。私たちがいた小さな教会にとって、初めての地元の方のバプテスマだった。
http://d.hatena.ne.jp/shuichifujii/20120408
今、改めて思うのは、人間には悲しみの出来事のその意味をすべて知ることはできず、その出来事が後にもたらすことになる神の業を、すべて見極めることは、人にはできない、ということ。
すべては、やがて天にいってから
「ああ、そうだったのか」と知ることになる
そう信じて、
日曜日ごとに、教会で天をみあげ、励まされ、
黙々と、日常を生きていくのみ