そこまでしなくてもいいんだけどね

このところ、あまり日記的なことを書かなくなりましたね。

酒田にいた頃は、時間がゆっくり過ぎていたし、小さな喜びを発見しては、ここに書く余裕もあったんでしょうね。


さて、14日の日曜日は、礼拝の中でこども祝福式をしました。こども祝福式といっても、決まった形があるわけではなくて、特に教会に関係する小学生以下の子どもたちを覚えて、お祈りとプレゼントを渡しています、

最初に聖書から子供たちにお話をするのですが、今年はちょうど協会学校のカリキュラムが、旧約聖書の有名なダビデとゴリアトのお話だったので、

4日前の水曜日に、その箇所からお話することを決めて、ペープサートと台本を作って、

ひとりではできないので、青年にも手伝ってもらうことにして、当日の朝早く練習。

そして礼拝の中で、子供たちにメッセージをしました。

ペープサートとは、キャラクターの絵の下に棒があって、それを持ちながら、キャラクターを使って、お話するのです。

ダビデやゴリアトのキャラクターをコピーして色を塗ったりする作業は、だいぶ時間がかかるので、数分のメッセージのために、そこまでしなくてもいいかな、という気持ちもあったのですけれど、どうせするなら、小さなダビデと大きなゴリアトの対比をキャラクターで強調したかったので、あえて作りました。

この、そこまでしなくてもいいけれど、「あえてする」という感覚が、教会にとって、とても大切な気がしているんですよね。

損か、得か。お金になるか、ならないか。

生産性は…それは無駄じゃないか。効率だ、合理性だ

そんな価値で物事を測るこの世界の中で、

損とか得とかをこえて、そこまでしなくてもいいけど、あえてそこまでやってみるという愚かさ。

そのようにさせていく、心の中から湧き上がってくる、思いに素直にしたがってみる。

教会にはそんなうちから湧き上がる力が、溢れている現場なんだと思うんですよ。