右の手

今日の黙想
詩篇138編

「わたしが苦難の中を歩いている時にも
敵の怒りに遭っているときにも
わたしに命を得させてください
御手を遣わし、右の御手でお救い下さい」7節

右の御手という表現は、ほかの箇所にもあるのか調べると、
「今、わたしは知った
主は油注がれた方に勝利を授け
聖なる天から彼に答えて
右の御手による救いの力を示されることを」詩篇20篇7節

「あなたの愛する人々が助け出されるように
右の御手でお救い下さい」詩篇60篇7節

とある。いずれも主の救いを求める表現として使われる。

右の御手か・・・

なぜ右なのかはわからないけれども、右とつくと、神様の救いの「手」の具体的なイメージが湧いてくる気はする、

たとえば、祈りの時に、「あなたの右の御手で、病をお癒しください」と祈ってみたらどうだろう。

神様の愛の手に、触れられるようなイメージが湧くかもしれない。
日本語でも痛いところに「手」をあてるから「手当て」というし。

エス様が、病の人に手を触れて癒されたという聖書の記事が、いくつもあるし。

手には、救いの力が込められているのだろう。