「自己否定」と「自己卑下」

「自己否定」は、自分で自分を責めたり、変えようとすることではないんですね。

むしろ、命を与えてくださった神から離れ、自分は神と無関係に生きていけると思いあがって膨らんだ「自己(エゴ)」を悲しみ、神に心を向ける、悔い改める。そんな謙遜さが「自己否定」

あえて譬えるなら、自分の中で自分勝手に増殖し、結局、自分を滅ぼしていく「癌」を悲しみ、取り去ってくださるようにと祈り、本来の健康な自分になっていく営みが「自己否定」

一方、「自己卑下」とは、こんな自分はだめだと、自分のことを責めている、高慢な自分が優勢になっている状態

また、癌の譬えにするなら、自分勝手に増殖する癌細胞がのさばって、こんなよわよわしい体じゃ、おれさまの栄養がたりないじゃないかと、のたまわれているようなもの。

命は、自分が作りだしたわけではないでしょう。神がくださったわけです。

なのに神が愛し、与えてくださった「自分」に、「だめだし」をしている「自分」って、なにさま?神さま?


神に愛されていることを意識する日常の積み重ねは、人を「自己否定」「謙遜」に向かわせ、

神との関係を無視しつづける日常の積み重ねは、人を「自己卑下」「高慢」に向かわせていく。

んじゃないかと思うんですよ。