平和を実現する神からの露

今日の黙想
詩編133編

「見よ、兄弟が共に座っている。
なんという恵み、なんという喜び」1節


この言葉は、私自身、とても大切にしていることば。

この詩編を歌った人が、どういう状況から、この言葉を語ったのかは、はっきりわからない。

しかし人と人とが、同じ空間近くにいることができる。一緒にいられること、そのことがすでに恵みであり喜びであるという言葉の裏には、

なかなかそのようにいかない、他者との出会いを拒んでやまない、人間の身勝手さや、

心を開けなくさせるプライド。そんなものにとらわれて、出会いの喜び体験できない人間の罪の悲しみを感じているからこそ、

このような言葉が生まれてくるのだろう。



「かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り
衣の襟に垂れるアロンの髭に滴り」2節


ここを読むだけではよく意味が分からなかったが、出エジプト記の29章によると、祭司への聖別の油を注ぐ儀式が、このようなことだったらしい。
「聖別」とは、神のものとなる、神に属するものになるということ。


「ヘルモンにおく露のように
シオンの山々に滴り落ちる」3節


神からの油が、露のようにシオン(神の民)の山々に滴り落ちるというイメージ

この表現も、なかなかわかりにくいけれども、旧約聖書のミカ書の5章6節に、このような表現があって、イメージとしてつながるかもしれない。


ヤコブの残りの者は
多くの民のただ中にいて
主から降りる露
のようだ
草の上に降る雨のようだ
彼らは人の力に望みをおかず
人の子らを頼りとしない」ミカ5章6節


このミカ書5章は、実は冒頭、クリスマスの預言になっているのだ。


「エフラタのベツレエムよ
おまえはユダの氏族の中でいと小さき者
おまえの中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」1節


この言葉は、やがてこの世を救うメシアがベツレヘムに生まれること
の預言として理解されてきたし、その預言の成就としてイエス様はベツレヘムにお生まれになったのだと、クリスチャンは信じている。

そのようなことを、頭の中で関連させながら、イメージを膨らませてみる。

詩編133編の、人と人とが共に座るという和解と平和の喜びは、神からくる聖別の油、救い主メシアの誕生。そして「ヤコブの残りの者」といわれる、人の力に望みをおかない平和な人々。

そういうイメージが膨らんでくる。

ここにもクリスマスのメッセージが隠れていたのかもしれない。


「シオンで、主は布告された
祝福と、とこしえの命を」詩編133編3節後半