相手の顔を見て話せないのは、恐れがあるから
顔を見て話してもらえないのは、恐れを与えているから
見ること、見られることは
愛すること、愛されること。
「パパ、ママ 見て」と、小さな子が親に願うように。
人は、見られることで、承認と愛を感じて安心し、
人は、相手を見ることによって、承認と愛を分かち合う。
恐れとは、承認と愛の欠如だから。
しかし、たとえ人が自分を見てくれないとしても、
愛しい赤ちゃんを見つめる親以上の眼差しで、
天の親は、いつも見ていてくださる。
その眼差しを、魂の目で感じとることで、
人はだんだん恐れから、解き放たれていく