今日は、わたしは食器洗いの日、なんだそうです。
ママの家事が大変だから、当番表をつくろうって、娘が自主的につくってくれました。
今まで、気がついた時に食器洗いを手伝ったり、お風呂掃除をしたり、子ども達も、ママからいわれて手伝ったりしていましたけど、
それでは、やっぱりどうしても、ママの負担が大きくなるんですよね。
そこに気がついた娘が、自主的にしてくれたことが、嬉しかったことです。
同じことをするのでも、言われてやるのと、自分から進んでするのとでは、雲泥の差ですからね。感謝です。
さて今日は、お昼ころ、教会のお掃除のために、わざわざ遠くから車でこられたご夫妻がおられて、
神さまへの愛って、掃除とか片付けとか、人には見えにくいちいさな働きに対する誠実さにこそ、あらわれているんだよなぁって、あらためて思わされました。
牧師はどうしても、人前に立つことが多いので、目立つし、それゆえに直接、神さまの働きをしていると、人から思われ評価されがちだけれども、
むしろ神さまの目には、わたしなどがしていることよりも、妻が日々してくれている、見えにくく評価されにくい働きの方が、本物の価値ある捧げものとして喜ばれているんじゃないかって、思わされることがあるんですよね。