今日の礼拝には、東京の大井バプテスト教会からKさんとHさんが出席してくださいました。
始めてお会いしたのですけれども、すでにこのブログを見ていてくださって、そういう意味で初対面じゃなくて、すでに神さまによって繋がっていたんですね。
このブログに、以前、ピーターさんの庭で子どもたちのために用具を募集していた記事も読んでいてくださって、本やカードゲームをいただいて感激!!
ありがとうございます(*^^)v
10月に、わたしに大井教会の大切な集会でお話しするようにと招いてくださっったこともあって、わざわざ訪ねてくださったんです。こんな遠くまで本当に恐れ入ります。でも本当にうれしい出会いでした。
たしかに一度に沢山の方に神さまの愛をお伝えできる機会は大切ですけど、わたしとしては、一人ひとりと顔を合わせて、語りあう中で神さまの言葉を分かち合うほうが好きなんだよね。沢山の方々に向かって語らなければならないときも、一人の人と語っているように語りたいし。このブログも、何人もの人が読んでおられるのかもしれないけれど、一人の人に向かって個人的に話しているつもりで書いているし。
そういうことで、きっかけはなんでも、個人的に出会わせていただけることに勝る喜びはないですよ。お互いに一歩、心開いてね。
Hさんには礼拝の中で証もしていただいて、かざらないまっすぐなことばにぐっときました。kさんには1年生の息子とずっと遊んでいただいて、ありがとうございます。
午後には先日生まれたばかりの赤ちゃんを連れて、Yちゃんが久しぶりに教会に顔を出してくれました。この不思議なタイミングも導きだね。
みんなで赤ちゃんをまわし抱っこさせてもらって、癒されました。
あらためて、Yちゃんっていつのぞみ教会に来たんだっけと、自分のブログの記事を探してみたら、2008年5月だったんですね。お父さんと一緒に。まだ高校生だったんだよね。いろいろあったなぁと、当時のことを思い出しました。
http://d.hatena.ne.jp/shuichifujii/20080413
のぞみ教会という現場に、今、目に見える形ではあらわれていなくても、神さまが繋げてくださっている人は、沢山いるんですよ。Yちゃんもその一人。
実は、今、このブログを読んでいる一人一人も、その一人。
やがて天の国に入ったら「なんだみんな繋がってたんだぁ」ってわかる日がくるんですよ。それがわかるところこそが天の国、神の国だからね。
地上の人生は、その繋がりが、少しずつ表れてくる、見えてくるプロセスなんじゃないかな。心を開いたら見えはじめる、すでに繋がっている天の国の繋がりがね。
ついでに、昔のブログの記事を読んでいたら、6年前の娘のこんな記事があって、ちょっと涙が出た。
http://d.hatena.ne.jp/shuichifujii/20080426#p1
今中学生になって、親の嫌なところも沢山感じているだろうし、わたしも自分の「こうあるべき」という考えとの葛藤の中で、もがいている最中だし。
だから、昔のように会話はないんだけどね。でも、繋がっているんですよ。神さまによってね。
彼女はきっとあと数年後には、自立していく。心配がないわけじゃないけれども、この記事を読み返して、ああ大丈夫なんだなと思った。
神さまと繋がっていたら、いや、神さまの方から繋げてくださっているから、大丈夫なんだよね。