神の臨在と不在はひとつ

「わが神、わが神。なぜあなたは、わたしをお見捨てになったのですか」という祈りは、十字架上のイエスによって発せられました。私たち人間の疎外の経験、罪のために神から見放された意識、あらゆる暗闇、無知を、神ご自身が負ってくださるのです。

神は、私たち人間の間に(キリストとして)入ってきて下さり、人間が味わう最も痛ましい経験を通り、神からも見放されました。だから私たちは、神の臨在の喜びを知ることができるようにされたのです。

これは、驚くべき十字架のパラドックスです。十字架上で、キリストが神の不在を経験してくださったので、私たちが神の臨在を経験することができるのです。

別の言い方をすれば、わたしたちが罪意識を経験するとき、十字架によって赦され、祈りにおいて神の臨在をより深く知ることができるのです。

十字架における神の貧しさと苦しみは、神の臨在を最も真実なものにします。同様に、謙虚さと心の貧しさにおいて、私たちは神の臨在と不在とが一つであるところにまで導かれるのです。

「神との友情」ジェームス・フーストン