山伏の方のお話が聞けるというので、鼠ケ関まで行ってきました。
自然を神と信仰するのが山岳信仰だとすれば、その自然を無から創造した方を、神と呼ぶのが聖書の信仰
なので、牧師としては、その違いを踏まえたうえではあるのですが、この物質主義に染まった時代にあって、目に見えるものを越えたところに心の目を向けることへの気付き、を大切にする点において、共感し、修験道の道を貫かれるその生き方に尊敬の念を抱きました。
なにより、教科書的な知識ではなく、実際、その存在に出会い、語る言葉を聞くことにまさる学びはないです。感謝。
いろいろ気付きがあったのですが、一つだけ。
江戸時代まで、神仏習合の象徴であった山伏は、明治政府が新しくつくり出した国家神道を推進しようとするなか、「神仏分離令」、「修験道廃止令」により、それまでの立場を失っていったのだそうです。
信仰の弾圧は、「日本古来の素朴な山岳信仰」に対しても起こっていました。