雲間から光

shuichifujii2013-08-06

 先週のキャンプ。山の上は天気が不安定で、初日の最初から、ザーと雨が降っていて、正直どうしようかと、悲しくなったんです。雨が降ったら、準備していたことがすべてできない。子どもたちも楽しみにしていたウォーターバトルもできない。せっかく遠くから来てくれたお友達もいるのに、つまらない思いをさせたくなかったんです。やるか、やめるか・・・
 祈りましたよ。そしたら、雨が小ぶりになって、そのうちやんだんです。で結局ウォーターバトルが出来た。そのあと、オリエンテーリングをやろうとしたら、また少し雨が降りだした。そしてまたしばらくするとやんでみたり。そして雨が降り出すたびに、ああ、また駄目かなって、そんな気持ちになり、でも、また、雨がやみ、日も差したりすると、ああ大丈夫だって、心まで晴れやかになる。
 二日目も朝から雨が降り、これでは、さかなつりも出来ないなぁ、と心が暗くなったと思ったら、そのうち雨がやみはじめ、日がさしてきて、やったーと、心が明るくなる。

 それで結局、全ての準備したプログラムは出来たんです。まるで綱渡りのようだったけれど、ちゃんと雨があがってほしい時間に雨があがってくれました。

 ちゃんと準備すること、人間の努力も大切。でも神さまの祝福があって初めてそれらが豊かに用いられることを、体験させられたキャンプでした。

 それにしても、厚い雲に覆われ雨がしとしと降っていたり、雲間に光が差し込んできたり、その度に、一喜一憂するのは、クリスチャンの信仰生活と似ている面もある気がする。

 神さまは、いつもわたしたちと共におられるわけです。おひさまが、いつも雲の上にあるのと一緒で、神さまはいつもともにいてくれる。

 でも、わたしたちの心に雲が発生するので、おひさまが見えなくなる。感じなくなる。そして落ち込むわけです。あーあー雨がふって、自分が思った通りにならないって落ち込むことがあるでしょう。

 でも、それでも神さまが不在なわけじゃない。神はそばにおられる。ただ、自分の心の中に雲が発生して、分からなくなる。

 毎週の日曜日の礼拝の時間とは、その雲の切れ間に、一瞬光がさす瞬間のようなものじゃないですか。雲が切れて、天と繋がる瞬間。おそらく、雲ひとつない完全な晴れ間は、天国にいってからでしょう。この地上では雲があるのはしょうがない。雨も降るでしょう。どうしてこんなことが、という出来事も起こるだろうし、つらいなぁという思いを抱くこともあるかもしれない。

 でも、そんな厚い雲も、この日曜日の一時間、窓が開くように開かれて、天からの光を感じて元気を頂ける。天と地が繋がるひと時。

 わたしたちの心の窓がひらかれて、天と地。そして人と人とが繋がりあえる一瞬。そんなひと時に励まされて、また一週間を歩んでいけるんですよ。