「ちゃんとしよう」(8月4日週報巻頭言)

 ことしも夏の子どもキャンプをめいいっぱい楽しみました。本当に楽しかったです。
 キャンプの前の晩、夜の9時過ぎまで、S君が準備を手伝ってくれたことが嬉しく、感謝なことでした。
 どうせやるなら、ちゃんと準備してやりたい。精一杯こどもたちに楽しい思いをさせてあげたい。
 ただそれだけを思って、毎年続けてきたキャンプです。毎年参加して今年で3年目のお友達もいます。キャンプの楽しさがちゃんと伝わっているんですね。
 さてある都会の教会で、夏のキャンプがありました。でも、都会の教会なので庭ではキャンプらしいことができない。そこで、教会の大人たちが、あるとき庭にプールをつくったのです。建築関係の仕事をしている教会員が、友人に頼んで図面を引いてもらい、自分で鉄骨を組んでコンパネをはり、防水シートを敷き詰め、ちゃんと泳げる大きなプールをつくったのです。子どもたちにしてみれば、見慣れた庭に、忽然と現れた自分たち専用のプールは、まさに夢のような光景でした。そのプールに歓声をあげて飛び込んだ子どもたち。その時の喜びは、「友達と水あそびをして楽しい」というだけの喜びではなく、「プールを作ってくれるほど、僕たちは愛されている」という喜びだったのだ、と、今は大人になったその当時の子どもたちは思いだすのです。

 ちゃんとしたことを、ちゃんとやる。それは愛すること。ちゃんとしてもらったらだれでもうれしい。自分のためにここまで本気でやってくれたという経験は、自分はそこまで愛してもらう価値がある、と知る体験だから。

 この宇宙の仕組みを知れば知るほど、この宇宙がいかに「ちゃんと」つくられているのかがわかるそうです。ちゃんとつくられているのは、そこに生きるわたしたちが、そこまでしてもらうだけの価値があるから、神に愛されているから。
 ちゃんとしないのは愛がないこと。ちゃんとしないから起こる事故、壊れる関係。ちゃんとしないから、人は人を傷つける。

 ちゃんとすることは、愛すること。
今週も、ちゃんとしたいですね。