今日の黙想

「わたしのもとに近づいて、聞くがよい。わたしは初めから、ひそかに語ったことはない。事の起こるとき、わたしは常にそこにいる。今、主である神はわたしを遣わし/その霊を与えてくださった。」イザヤ48:16

 人間の脳はたくさんの情報の中から、自分に必要な情報だけを「海馬」という器官が取捨選択して記憶として残すらしい。

 自分にとって都合の良い情報は残るけれども、そうでないものは捨てられるのだそうだ。

 今まで何度も見ていたはずなのに、あるときふと、初めてそこにあることに気がつく、ということはよくあること。

 今まで何度も聞いていたのに、あるときふと、初めて聞いた話のように聞こえてくることがあるもの。

 神さまは語っておられないのではなく、出来事を通して、出会いを通して、自然を通して、人の口を通して、なによりも聖書のみ言葉を通して、語り続けておられるとしたら、今までどれほど聞きながしてしまっただろう。

 身近な人の言葉ほど、慣れ切ってしまって、聞き流してしまうもの。

「ひそかに語ったことはない」ということは、神さまは遠くや特別なところではなく、あまりに身近なところで、当たり前すぎる慣れ切った日常の中で、いつも語られているということでしょう。


 聞く耳、というか、聞く「海馬」が大切だな。