共同体へと

shuichifujii2011-01-06

 わたしたちは共に生きる共同体の交わりを、そこにあるのが当然と簡単に考えがちです。土の存在をことさら意識しないように、共同体がそこに存在していることさえほとんど意識しません。


今世紀初頭、エチオピアの国土の40パーセントは森林でおおわれていました。しかし何年かの内に森林は次々と伐採され、国土のわずか3パーセントの森を残すばかりとなりました。かつて森林によって保たれていたエチオピアの肥沃な土壌は、見る見る河川に洗い流されてしまいました。80年代半ばに起こった干ばつの原因ともなった、この国土の荒廃を修復するにはなお多くの年月を要することでしょう。


 多くの人々の生を豊かにはぐくむ、共同体という目に見えない財産を築きあげるには、何百年もかかります。しかし土壌と同じように、一度失われると、その回復は至難の業です。

 現代社会は「自己実現」という名の新興宗教と引き換えに、なかなか手に入らないこの貴重な共同体をいとも簡単に、ほとんど一夜の内に捨て去ってしまいました。どうにかこの世で生息しているものの、この世にすっかり毒されている今日の教会もまた、この共同体の喪失によって苦しんでいます。

 Prayer Transforming Friendship/James Houston p.320

 共に心を開いて祈る。霊的な交わり。生命共同体。

 祈りと、共に生きる共同体の交わりのない、教会活動は不毛。

 自分の利益をもとめて集まる、お参り型の信仰は共に生きる共同体を形成しない。

 祈りと友情を経験する共同体。それが教会