去年の今頃はなにをやっていたかなぁ、と昔のブログの記事を振り返ってみました。
去年の12月8日はこんなことを書いてます。
ブログを少しの間、書かないでいると、インフルエンザにかかったのではないかと心配してくださる方もおられるようなので、短くても何か書いたほうがいいですね。
スランプというものは誰にでもあるものですね。プロゴルファーの中島常幸さんはクリスチャンですが、彼は「スランプを楽しむようにしている」と講演でいっていました。何度もスランプから復活した中島さんの、説得力ある言葉ですね。
開拓伝道の現場は、なかなか目に見える変化がありませんので、ある意味、恒常的スランプ状態なのかもしれません。時々、息苦しく感じて、逃れたいなぁと思うこともなくはない。
でも、神さまは生きておられるのですから、「スランプは楽しむべし」なのだ。
自分の力ではどうにもならない行き詰り、限界におかれるからこそ、神さまが働いて下さったとしか言えない恵みの業を知るのです。
今、教会に来てくださる方がおられるのも、この良い建物が借りられたのも、印刷機が与えられたのも、明らかに神さまの恵み。自分の力ではどうにもならないことばかり。
9月ごろ、今の建物が見つかるちょっと前まで、けっこう精神的に行き詰っていた時期がありましたが、そんな行き詰まりの先には、神さまからのプレゼントが待っていた、という経験を、いままでも何度かしてきたのでした。
そういうことで、スランプは逃げないで「楽しむべし」なのですなぁ。と、自分に言い聞かせる今日この頃。
そして一年。
ことしは子ども英語教室を始めることができて、平日に子どもたちが教会に来るようになったことが大きな変化でした。
去年の今頃は、まだこども英語教室をするようになるとは思っていなかったころかな。
今は、16人も子どもたちが来てくれて、毎回教室は、お祈りして始めますから、祈ったことなんかない子が、お祈りするという、もうそれだけで、ここに教会が立っている意味がありますな。月に一度のこども会にも来てくれる子も増えてきたし。
去年の今頃とは全く状況が変わりましたねぇ。
一人の人が教会や英語教室に来て、「いいなぁ」と思ってくれたら、それはすごいことの始まりです。なぜなら、その一人の人には、何十人もの知り合いがいるでしょう。何かの折にその知り合いの人に、「自分がいっている教会はこうこうで・・「教会の英語教室なんだけど、これこれでさ・・・」と口コミしてくださる。そしてその知り合いにはまた知り合いがいて・・・・と広がる。
実際、12月に英語教室に入ってきた子たちは、みんな口コミでした。いいものは、伝わっていくのですね。
教会の礼拝も、「いいよ、いってみない」とそのうち口コミで人が集まってくるでしょうね。楽しみです。
ということで、一年前の今頃、一生懸命希望を見出そうとしていた自分にむかって「大丈夫だよ。イエスさまは祝福してくださるから、もうちょっと待っていたらいいよ」と、言ってあげたい気がしますね。
そして同じように来年の今頃、今の自分にむかって「大丈夫だよ。イエスさまは祝福してくださるから、あともうちょっとだよ」といっているのかもしれないですね。
楽しみ楽しみ・・