自分の心は自分で守らないとなぁ

 ブログというものは、書く内容よりも、書き続けることに意義がある気がしますね。

書くことがストレスになったら続かないし。

やはり続けるコツは、なんでもいいから、思いついたことを書く。書きたいと思った時に書きたいことを書く。

それしかないでしょうね。


さて、木曜日に妻と勇気が帰ってくる予定。それまでは上の二人の子どもたちと生活。

おのずと、母親代わりになって、ついガミガミ・・・。

今日の朝は、朝食の前に、嗣音が布団をあげてこなかったので、その理由を尋ねると、何やら美香のせいだといっている。

美香の言い分も聞くが、よく実態がわからない。美香は美香で嗣音が悪いと言っている様子。

わたしとしては、四の五の言わずに、布団をあげて部屋を片付けてから朝食の席につきなさいと、イライラしてくる。

どうも、忍耐が足りないなぁと、いつもあとで後悔する。

ただ、子どもたちが、お互いに相手が悪いといっているときは、いつも「相手のせいにしない」ときつくしかる。

「パパは、ママのせいでこうなったとか、ママはパパのせいでこうなった、とかいってるかぁ? あなたたちは誰を見て育っているの。」
とかいってしまう。

 そうやって、自分の振る舞いの責任を、他人のせいにしないことを、口を酸っぱくして言い続けているけれども、なかなか「●●のせいで」という心から解放されないものです。

 そんな自分自身、本当に自分の振る舞いを、他人や状況のせいにしていないといえるかなぁ。

 今日の朝のイライラを、子どもたちのせいにしていたんじゃないかなぁ?


箴言4章23節
「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」


1テサロニケ5章16節〜
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。