今日はTRさんご夫妻、公益大のMさん、先週から来てくださっているIさんと共に礼拝
わたしたちの礼拝は、人数が少ないこともあって、机を丸く囲んで互いの顔と顔を見る形で礼拝します。
今日はIさんと、そのほかの方々が初対面だったので、礼拝のなかの分かち合いの時間に、どうして今ここにいるのかという、神さまの導きを証しあいました。
そのひとりひとりの話を聞きながら、あらためて、この小さな教会がここになければ、決して顔と顔を合わせて語り合うことなどないはずの私たちが、ここで出会っている。いや、出会わせられている。その背後にあるイエスさまとの出会いと導きを、深く思うのでした。
今、特にこの日本社会に深く巣食う問題は、決して経済問題ではないと思っています。
ますます共に生きることができなくなってきている。人と人との関係が、どんどん分断されている。
人が出会い、お互いを喜び、笑い、悲しみ、痛み、互いに支え合い、互いを気にかけ、共に生きようと願う。
この共に生きる関係がどんどん失なわれているところに、深い問題があるのであって、経済の悪化によって、その本質的な問題が露呈してきたということ。本質は包摂性の問題にある。
しかし聖書の福音には、神と人とを和解させ、人と人をつなぐ神の力がある。
金は人と人を結びつけない。「金の切れ目が縁の切れ目」は昔からの常識。
血のつながりも、人と人とをつなげる力によわい。「家族の崩壊」の一般化
こんな時代に、たとえ小さく取るに足りない教会に見えるとしても、人と人との出会いのなかで、この福音の力と喜び、そして希望を証する教会でありたい。そう心から願います。
今日の礼拝メッセージ