今、モンスターペアレントといわれる、親が増えているそうです。
モンスターペアレントの行動例
教育評論家尾木直樹法政大学教授によると5つのタイプがあるとされている。学校依存型(子供を朝起こせ、学校で汚れたので洗濯してくれなど「何でも学校に押しつける」)
自己中心型(劇の主役や習字の評価を高くしろなど「学校行事の日程変更なども要求」)
ノーモラル型(夜中、授業時間でも電話してくる)
権利主張型(風邪で休んだので給食費返還、住民税支払っているので給食費未納)
ネグレクト(育児放棄、虐待)型(食事なし、服や髪の汚れ)
自分の子供が注意されたことに逆上して職員室に乗り込み、延々とクレームをつける(「クローズアップ現代」に登場)。
早朝でも深夜でも教職員の自宅に電話をかけ、何時間もクレームをつける(「クローズアップ現代」に登場)。
子供同士の喧嘩に介入し、相手の子供を非難する長大な文書を学校に持ち込んで処罰を要求する[13]。
自分の子供がリレー競技の選手に選ばれないのは不自然だとクレームをつける[13]。
子供がプリントを親に渡さなかったことを、教師の指導のせいにする[13]。
「自分の子どもを手厚く指導するために専用の教員をつけろ」「我が子を学校代表にして地域行事に参加させろ」などと要求する[14]。
自分の子供が風邪でテストを受けられないので、代わりに自分が受けにくる。
「○○小学校○年○組の○○という児童はクラスの迷惑なので学校に来させないでくれ」といきなり都道府県の教育委員会に匿名で要求する[4]。
高校入試の合否判定に用いられる絶対評価の通知表の評定に不服だと抗議する。美術などの実技評価は、客観的な点数が付けづらいため特に多い。評定ごとの割合が厳格に定められている相対評価では、このトラブルはほとんど発生しない。
学校裏サイトで親が教師・学校を批判および攻撃を行う(少数ながら実例あり)。
「遅刻がちの子どもを担任が迎えに来ない」などという理不尽なことを教師のせいにして学校にクレームをつける[15]。
児童が石を投げて学校の窓ガラスを割ったにもかかわらず「子供の投げた石がぶつかったくらいで割れるガラスが悪い」「子供が投げたくなるような石を放置する学校が悪い」と反論する。
子供の教育方針を巡っての学校側との交渉の際、「自分は物書きだ。これを、世間に公表されたいか?」と迫る[16]。
自分の子供に対する要求の例では以下のようなものがある。親が希望する大学に合格しなかった場合にはそれまでの教育費や養育費を全額返還しろなどと要求し、応じないと訴訟を起こすと脅す。
卒業アルバム等の写真で自分の子供が写っている写真の数が少ないとクレームをつける。
一人暮らしの大学生の自宅や携帯電話に平日の昼間(大学の授業等で電話応対ができない時間帯)に電話を掛け、出ないと苦情を言い、電話応対係を雇って24時間電話対応しろなどと要求する。
自分の子供が万引き等の犯罪を犯しても現場(もしくは店)の責任者に親がクレームをつける[17]。
消費者意識が強く、学校の教師さえ、店の店員のようにクレームをつけて平気な親。
こどもが万引きを犯しても叱りもせず、反対に店にクレームをつけてくる親。
そのような親の姿をみて育つこどもは、いったいどうなっていくのでしょう・・・。
それが、こどもを愛し、守ってあげていることだと思っているのでしょうか。
こどもを本当に守り、愛するということは、こどもの間に、悪習を取ってあげることではないでしょうか。
こどもの間に、善悪のけじめをきちんとつけてあげることが、その子の一生を守ってあげる親の愛ではないでしょうか?
子どもをしからないのは、愛することの放棄ではないかと。
甘やかすという言葉は、英語でスポイル。そしてスポイルとは「だめにする」という意味がある。
こどもの姿は、自分の人生の歩みにおける、ある意味結果。
謙遜になって、自分を変えていかないと、いつの日か、自分がまいた種を自分で刈り取ることに・・・。
数千年の時をこえて、人を育て、導いてきた神の言葉、聖書のみ言葉。
その神の言葉に聞きつつ、自分の思い込みや、間違いを正され、祈りの中で知恵と、力と愛を与えられて、子育てをさせていただけることに、あらためて感謝しています。
聖書
「子は父の諭しによって知恵を得る。不遜な者は叱責に聞き従わない。」(旧約聖書 箴言13:1)
「鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。」(旧約聖書 箴言13:24)