聖書の言葉に生きる祝福

shuichifujii2008-12-08

 礼拝のなかに、それぞれの証の時間があるのですが、昨日はTRさんが、「自分は毎年この時期は忙しさのあまりいらいらして、家族に迷惑をかけるのですが、教会に来たおかげで、今年はいらいらせずにすごせて感謝です。教会の掲示板にある「愛はいらだたない」ということばに教えられています」と言われます。

 「すばらしいお話だなあ」と私。でも一応、証言の裏をとっておかないとね。
そこで、奥さんのTYさんに、「ご主人は、そう言っておられますが、本当ですか?」と質問。

 「ええ、今のところ、本当のようです」というお答え。

 「そうなんだ、すばらしいなあ」 と感激。

 聖書の言葉は、本当に聞いた人のなかで、生きて働くのですね。

 ただ、御言葉を聞くだけではなく、それを生きようとしておられるご夫妻ののお姿に、本当に感動です。


 去年の今頃のTYさんの表情と、今のTYさんのお顔は明らかに違います。本当に明るくなられたと思います。かつては「うちは会話のない夫婦なんです」といっておられたご夫婦が、こうしてそろって教会にこられるようになって、ご主人が聖書をとおして、愛の人へとさらに変えられていき、家庭の雰囲気も変えられていく。これを神の奇跡と呼ばないで、なんと言えばいいのでしょう。偶然ですか?。たまたまですか?。そうではないでしょう。


 今日、妻の携帯に、東京の友人からメールがありました。朝、出勤のときに、隣に住んでいる奥さんと子どもさんが、家の前で薄着でうずくまっていたのだそうです。事情はわからないけれども、なにかご主人とのあいだに、トラブルがあったのでしょうか。しかし、この冬の寒い朝、母と子が、薄着で家のまえでうずくまっているなんて・・・。その妻の友人は、もし、自分が帰宅したとき、彼らがまだそこにいたら、教会でかくまったりしてもらえるのですか、というメールを、妻に送ってきたのでした。妻は、近くの教会を紹介したようです。


 これは、数ある家庭の問題のなかの氷山の一角かもしれません。もちろん、夫だけが悪いわけではなく、家族一人ひとりにそれぞれ問題があるのでしょう。しかし、力関係から言うと、どうしても家長である夫のとる行動が、家庭にあたえる影響を無視することはできません。


 夫が神の愛によって変えられ、愛する人になっていくとき、家庭は変わります。これは確信を持っていえます。理屈ではありません。人を変えるのは、キリストの愛の力によるのです。


ゆえに、家長に向けて、聖書はこのように語るのですね。


「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(新約聖書 使徒言行録16章31節)
 

 イエスさまを信じ、聖書の言葉を、ただ聞き流すのではなく、それを生きようとするとき、そこにある祝福は、はかりしれないものがあるのです。
 

「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。・・・・


夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」(新約聖書 エフェソ5章26節〜)