祈って平安、そして勇気

 今日のお祈り会はSさん、OさんYちゃん、私たち家族。Yちゃんは今日まで試験。「試験前にすごく緊張したのだけれど、お祈りしたら落ち着いて試験に臨むことができました」とYちゃん。


 そのとき、そこで主に祈ることができて、本当によかったね。


 それを聞いて、自分の昔のことを思い出しました。10年以上前、まだ仕事でトロンボーンを吹いていたころ、吹奏楽団をバックにソロの演奏をすることが何度もありました。そんなソロの演奏の直前には、いつも心の中で「主よ助けてください」と祈っていたものです。


 ソロの演奏の最中は、だれも自分を助けてくれないので、自分で頑張るしかありません。ソロ奏者は、本当に孤独です。でも、わたしの場合は、祈りのなかで、「主が共にいてくださるから大丈夫」という平安によって、何度も守られました。その平安とは、演奏が、うまくいっても、失敗しても、大丈夫、主は最善を導いてくださる、という平安なのです。この平安によって、聴衆を怖れることから解放されました。そして、この平安によって、実力以上の力が発揮され、結局うまくいって、主に感謝した経験が何度もありました。本番直前までコンディションが悪く、もう絶体絶命で、最後まで演奏することさえ無理ではないか修羅場のときも、直前まで祈り、「もう、どうなっても感謝」と主にすべて委ねてステージにのって、奇跡的に乗り越えた演奏が2度あります。



 平安があるなら、勇気が出てきます。そして、勇気さえあれば、人はどのような状況にあっても、主に委ねて、前進していくことができるのですね。



「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(旧約聖書 ヨシュア記1章9節)