帰るところ

 8月27日は、私たちの教会の前任の牧師であった民家先生が天に召された日です。今年で2年たちました。


 民家先生と親しかったMさんのお宅を訪ねました。奥さんがいらして、いろいろ思い出話。


 Mさんご夫妻。事情があって、しばらく礼拝をお休みしておられましたけれども、そろそろ帰ってこられるかな。そんな神様の導きを感じています。


 教会の入り口には「おかえりなさい。ここはあなたの教会です。どうぞお入りください」と書いて貼ってあるんですね。


 教会は、出かけるところというより、帰るところ。週に一度、神の家族のところに帰る、というのが私のイメージ。


 天国も、地上の人生が終わったら、見ず知らずのところに出かけていく、というより、よく自分のことを知っていてくださる天のお父さんのところに帰っていく、というのが私のイメージ。


 そして人間、「自分には帰るところがある」と思ったら、つらい現実のなかでも、希望を失わずに生きていけると思うのですね。


 帰るところ・・ありますか。


「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」新約聖書 エフェソ2章19節)


「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」新約聖書へブライ人への手紙11章13節)


「わたしたちの本国は天にあります。」新約聖書 フィリピ3章20節)