朝の黙想と祈り

shuichifujii2008-07-30

 10月の研修会のチラシつくりや説教の準備。夜は、子どもたちと花火。
東京のマンションに住んでいたころ、一度、子どもたちにせがまれて、狭いベランダで花火をしたことがありました。部屋のなかが煙でいっぱいになって、すぐにやめました。それもまたいい思い出です。



 さて、朝、最上川の河川敷まで、歩きながらお祈りすることがあります。心も体も活き活きとさせられますし、いろいろなインスピレーションが与えられます。


 道端の草ひとつに、神の創造のすばらしさを感じました。ましてや、人間のすばらしさは、どれほどでしょうか。


 ある本を読んでいたら、胃について書かれていました。胃酸は、実は、化学実験でよく使う塩酸だということで、生身の体が、どうやって塩酸を作るのか、そのシステムも非常に複雑ですが、それと共に、そのような危険物を製造していながら、胃は、自分自身を消化しないようなシステムも持っていることも不思議です。しかも、消化物が小腸に下ると、すい臓から大量の炭酸水素ナトリウムを含んだすい液が出て、胃から出てくる酸性の消化物と反応し、塩酸を中和するようにできているのだとか。そんなことをちょっと知っただけですが、それにしても、なんと考え抜かれた、精密で完全なシステムなのかと、驚きました。


 これは人体のほんの一部の仕組みにしか過ぎません。しかし、これだけでもいったい偶然の積み重ねと、自然淘汰によって、このような複雑かつ完璧なシステムができるのでしょうか?。とても考えられません。


 今日、川原を歩き、道端の草を見ながら、この自然を創造された神を思いました。そして、この自分を精巧に作り上げてくださった主を思いました。そして、この複雑で完全な体を作られた主は、一人ひとりの人生がどんなに複雑であろうと、すべて知り、人知をはるかにこえた、完全なる主の計画のなかに、導いてくださっている。今日もまた、そのすばらしい主の愛の御手のなかにあるのだ、と思うとき、新しい、希望と勇気に満たされるのでした。


「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイによる福音書10章29節以下)


「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。」(エレミヤ書29章11節以下)


「あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。詩篇139編13節以下)