のぞみ

 今日の午前中、妻と美香としおんはプールに。私と勇希はお留守番。
今日は涼しい一日でした。

何も書くことがないので、過去の自分のブログを見てみる。2年前の今日のブログは、こんな記事でした。


「酒田のぞみキリスト教会」という名前にしよう
 最近お別れ会が続くので、正直、すこし寂しい気持ちになることも多いのだけれども、一方、これからの酒田での伝道のことを考えるときは、心が燃えてくる。母教会の先生とも相談しながらだけれども、開拓伝道ゆえに、教会の名前も自分たちで考えてよいのだ。何にしようかなと、妻と考えた。もともとの名称は「酒田キリスト伝道所」。でも、やはり「教会」と付けないと一般の人は、「伝道所」じゃわからない。では「酒田キリスト教会」。これは同じ名前の教会が近くにある。そこで、妻がひらめいて「酒田のぞみキリスト教会」に決定。「のぞみ」という言葉が、まさに「のぞみ」の見えない今の時代にこそ求められていると思うから。

 聖書の福音は、2000年にわたって、どんなに絶望的な時代にあっても、常に生きる「のぞみ」を示してきたし、そして、これからも示して行くのです。


 ああそうだったな。それで「のぞみ」とつけたんだったな、と当時のことを思い出しました。


 そのころ、美香は幼稚園の年長、しおんは年少。酒田にきた当初は、子供たちの顔が沈んでいたことを思い出します。二年たって、今は、活き活きと、はしゃぎすぎるくらい。


勇希が与えられたことも、考えてもいなかった恵みでした。


 酒田にこなければ、決して出会えなかった人々と出会い、なによりも、毎週一緒に礼拝を捧げる方々が与えられたことが、感謝でいっぱいです。


 主のくださる「のぞみ」は本物なのですね。


「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」(ローマの信徒への手紙15章13節)