進化「論」ってホント?

 進化論は何の疑いもなく信じられていますけれども、これは「論」なのですから、疑ってみる自由はあるはずですね。


 さて、生物の発生の根拠に、「神」を持ってくるわけにはいかないので、その代わりに、「偶然」を持ってきたのが進化「論」というわけです。


 前提として「神」をもってきたら、「科学」にはならないので、創造「論」は科学ではないという人がいますが、同じ理屈でいうなら、考え方の前提として「偶然」を持ってきている進化「論」も、「科学」というより、「宗教」ではないのだろうか、という疑問が、まずあります。


 進化「論」は、「偶然」を前提とした、「突然変異」や「適者生存」という「考え方」にたっています。


 たとえば、アメーバーのような単細胞の単純な生物が、「偶然」を前提とした、「突然変異」とか「適者生存」の積み重ねの末、やがて、複雑な生物へと進化したといいます。

 
 でも、たかがアメーバーのようですが、されどアメーバーなのです。単細胞のアメーバといえども、実に複雑なる生命維持のための「完成されたシステム」をその単細胞のなかに内包しています。

繊毛虫等の他の微生物を食べて生活する。食べる時は、仮足で餌を包むようにして、細胞内に取り込む、いわゆる食作用を行なう。取り込んだ餌のはいる空胞を食胞といい、この中で消化が行われ、栄養分は膜を通して吸収される。」(Wikipediaより)


 アメーバーはすでに、アメーバーとして「完成」されている生命体です。「完成」されているからこそ、この単純な形態のままで、存在しつづけているわけです。このあと何億年経とうとも、「完成」されているものが、さらに「進化」する必然性はないのではないでしょうか。


 そもそも生物というものは、生命を維持するための「完成されたシステム」を、最初から持って出現しなければ、存続できないことは、自明のことです。


 「今、偶然、突然変異によって、口が出来ました。あと食道と胃、そして肛門が偶然にできるまで、1万年お待ちください」
 なんていっているまに、その口しかない生物は絶滅します。



 繰り返しになりますが、生物というものは、どんなに単純な種であろうと、最初から生命維持のための「完成されたシステム」が必要です。


 原始の地球にて、偶然、ぽつんと、たんぱく質が発生したとしても、それを維持するための「完成されたシステム」がないので、すぐに消滅です。「偶然」によって「進化」している暇などありません。


 いままで当たり前のように教えられてきたことを、もう一度「自分の頭」でよく考え、問い直してみたいのです。実際、進化「論」は、どこまでいっても、しょせん「論」なのですから。



「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1章1節)