「今日一日、神様に喜ばれないようなことを言ったり悪い心になったりしたことを、ゆるしてください」
毎日、寝る前に子どもたちと一緒にお祈りするのですけれども、小学生の美香は最近、祈りの中で、先のような、悔い改めの祈りをするようになりました。
そのように祈りなさいと、教えたことは一度もないので、彼女の心からの祈りだと思います。その祈りの言葉を聞きながら、わたし自身の心の中を深く探られる思いがします。
この聖書の箇所を思い出しました。
「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(新約聖書 ルカによる福音書18章9節から)