田植えの季節ですね。農夫は、刈り取る日を希望しつつ、種をまきます。
人生も種まきのようですね。
「愛」という種を蒔けば、「愛」という実を刈り取るでしょうし、「悪口」という種を蒔けば、「悪口」という実を自分の身に刈り取ることになるものです。
そして「祈り」という種まきもあると思うのですね。
「祈り」という種を日々蒔き続けるからこそ、神様の癒しや祝福という実を刈り取るのでしょう。
なにも蒔かなければ、刈り取りもないわけです。
「祈り」もまた「労働」なんですね。
刈り取りを望みつつ、「祈り」という種まきに、日々励みたいと思います。