今日のお祈り会

 昨日は合同のお祈り会だったので、通常の祈り会の予定を今日に変更。午前中お祈り会。ユキティさんがこられる。
 まず、新約聖書のマルコの福音書の2章を読んで、分かち合い。


 家でひとびとに教えておられたイエス様のところに、中風の人を4人の友人が連れてくる。しかし群集でイエス様のところにいけないので、屋根をはがして中風の人をつりおろしたという出来事。


 「屋根をはがすってすごい」とユキティさん。
本当にすごいことだとおもいます。そこまでして、イエス様を求めていった彼ら。そして求める心に答えてくださったイエス様。


 イエス様は、中風の人の、病を癒すより、まず罪を赦されます。


 人は罪が赦されるということが必要です。なぜなら、神は、最後に正しい裁きをなさるからです。


「また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように・・」(ヘブライ人の手紙9章27節)

 食品表示の偽装問題が物語っているように、人は、人の目さえごまかせたらなんとかなると思っています。でも、なんとかならないのです。いつかは明るみに出てしまいます。神の前にすべて。


 ですから、聖書は口をすっぱくするようにして、「罪」が赦されるように、イエスキリストを信じなさいと語るのです。


 人にとって本当の必要は、神の前に罪が赦されること。そして、罪を赦され、神の子の関係に入れていただいて、神様が自分にとって、「正しい裁判官」ではなく、愛を持って導いてくださる「天の父よ」「おとうさん」と呼べる関係になること。そして日々祈り、聖書の言葉を心に蓄えるなかで、神様の愛、そのすばらしさをますます知っていく。

 
 このことを実感して生きていけたなら、本当に豊かな人生が開けてきます。




 聖書を読んで分かち合ったあとは、一人づつお祈りしました。
今日は初めてユキティさんも祈ってくださいました。


 祈りには、力があります。それは、周りや状況を変える力である前に、なによりも、祈る人自身が豊かにされ、成長し、変えられていく力です。祈れば祈るほど、その人は変わっていくのです。